昼逃げから2年①
離婚してから1年が経った。別居からはもうすぐ2年になる。
2年前、小さな子どもたちを連れて私は「昼逃げ」をした。
昼逃げをする前、ネットで経験者のブログを読んだり、専門家の情報を探ったりしていたので、私の経験もどなたかの参考になればと思って書きます。
私にとって2度めの結婚は、はじめから前途多難だった。
30代のはじめ。私には借金があった。借金がある中、妊娠がわかった。
結婚しようと一緒に暮らしていたはずなのに、借金があることを知っていたはずなのに、当時の彼は「借金がある人と結婚はできない」と言った。
頼み込む形で入籍をしたが、突然不機嫌になる当時の夫に振り回され、
いつも機嫌を伺い疲弊していた。
生活費が足りないと言うと、「使い方がなっていない」「誰が稼いだ金だと思ってるんだ」と言われ
まぁ、典型的なモラハラ野郎だった。
モラハラについての詳細は、まだ自分の感情をうまいこと整理できそうもないので割愛させていただく。
はじめはいちいちメソメソしていたけど、それでは何も解決しないと悟った私はサッサと保育園を探しパート先を見つけ、そこで正社員にさせてもらった。経済的に自立するのが一番だと思ったからだ。
2人めの子が生まれるぎりぎりまで働き、産後は即復帰した。
「家事もロクにできないくせに外で働きやがって」と言われ、
「子ども連れて出ていくために貯金してるんだよ」とさらりと言い返してやったこともある。
家を出よう、と具体的に考えたきっかけは2つある。
ひとつは、夫が仕事を勝手に辞めてきて心底信頼できないと思ったこと。
もうひとつは、伯母が亡くなり、姪である私に遺産相続の話がきたことだった。
夫はいつの間にか仕事を辞めていた。上司と喧嘩したらしい。
突然専業主夫になった。
子どもたちを保育園に連れて行くのは私、迎えに行くのも私のままだったが、ばたばた帰宅すると食事が用意されているようになった。
やけに機嫌がよく(機嫌を取ってくる)今まで知らんぷりだった育児にも積極的になったが、反して私の気持ちは一層冷め切っていった。
ちなみにどうして家に主夫がいるのに保育園に子どもを預けられ続けたかと言うと、夫は「ストレスで働けない状態になった」という診断書を近所の心療内科で作成してもらい、区に提出していたからだった。
この時点で私は子どもたちを扶養に入れた。離婚に向かって、一歩進んだと感じられて嬉しかった。
そんなとき、亡くなった伯母の遺産の話が舞い込んできた。
伯母に子どもはなく、伯母の夫はすでに逝去していたため、遺産は存命の兄弟たちにふりわけられることになるのだが、伯母の弟…すなわち私の父もすでに他界していた。
よって、伯母から見た姪(私と私の姉)に遺産相続の権利があるというのだった。
「おばちゃんが背中を押してくれてるんだ!」と勝手に解釈をしてありがたく受け取った。
まず私は弁護士さんを探した。
弁護士ドットコムというサイトを使って、状況を書き込んだところ数件の返信があり、一番文面の感じの良かった方にアポを取った。
初回の50分の無料面談でこの人にお願いしようと決め、次の日には費用を振り込んだ。
その時、3ヶ月以内に昼逃げをしようと計画していた。
続きは、またあした。
読んでくださった方ありがとうございます♡