精神科は「受診するまで」が難しい
GWが終わり、日常が戻りつつあります。とは言え、コロナウィルスの影響は大きく残っているので、完全に「これまでの日常」が戻って来た訳ではありませんが、経済や学業などが形を変えながらも少しずつ動き出しているのを実感しています。
本日は診療報酬改定後初の請求締切ですね。当院も本日オンラインで請求予定です。改定後請求のあるあるですが、新しく算定できるものや試しにやってみる事などをいくつか盛り込んで請求するので、いつもより少しだけドキドキ感が増します。やっぱり、査定・返礼は嫌ですからね・・・。
さて、前回「実は凄い精神科」、前々回「精神科は弱すぎる」で精神科の強みと弱みに触れました。今回はそれを踏まえて、精神科の受診についてお話ししようと思っていました。
しかしよくよく考えると、診察の内容は症状によって異なるし、診察や治療内容について私が色々話すと、間違っていたりズレていたりするのではないかと思いました。
それよりも、精神科特有ではないかと思われる「受診に至るまでの難しさ」についてを話した方が、私の経験も含めてお伝えできるのではないかと思い、今回のタイトルに至りました。
・「病識が無い」から難しい
病識とは「病気にかかっているという自身の認識」のこと(詳細はWikipediaをご参照ください)です。「病識がある or 無い」という使われ方をしますが、精神疾患にかかっている方は、病識が無いことが多いように思います。継続して治療を受けている方は、治療を通して病識を持つようになりますが、精神疾患の症状出現が初期の方や重度の精神疾患の方などは、病識が無いと言っていいと思います。
そもそも精神疾患とは、ICD-10では「第5章 精神及び行動の障害 (F00-F99)」を指します(病名についてはリンク先をご参照ください)。近年では、これらに不眠症やてんかんなどが精神科の治療対象として含まれていて、診療報酬に基づいて治療が行われています。
リンク先を見ていただけると何となく想像できるのではないかと思いますが、精神疾患にかかっている方が自身で病気に気付くのは、かなり困難なことだと思います。違和感を感じることはあっても、それを「病気だ」と判断するのは難しい上に、勇気のいることだと思います。言い方は悪いですが、自分で「オレは頭がオカシイ」なんて判断はしないだろうし、その発言をしている時点であまり良い状態ではないと思われます。逆にアルコール依存症の方は「否認の病」と言われるほど、自身の状態を否定します。
病識が無いため、風邪や骨折などのように「調子が良くないから病院へ行こう」と自発的に動くことは少なく、周囲にいる人たちが気付いて治療につながるケースの方が圧倒的に多いです。
・「偏見がある」から難しい
先ほど話した通り、家族などの周囲にいる人たちが気付いて受診につながるケースが多いのですが、気付いてから受診につながるまでにも障害が待ち受けています。それが「精神科に対する偏見」です。
近年では、有名人がうつ病・パニック障害・発達障害などをカミングアウトすることが増えていて、若年層には(少しだけですが)精神科に対しての偏見が(善し悪しは別として)少ないように感じられます。しかし、ある程度の世代以上(個人的感覚では昭和生まれ以前)には、個人差はありますが偏見の思考は存在するように思います。年齢を重ねれば重ねるほど、その傾向も強い印象があります。これは私も言えることですが、精神科病院で働いている経験から、それはほとんど無くなりました(残念ながらゼロとは言えませんが・・・)。
数年前の話ですが、私が入院手続きを対応したご家族から「○○病院(当院のこと)は昔から知っていたけど、精神科の病院だから何となく怖くって・・・」と言われたことがあります。もちろんその後は、Dr.診察の様子やPSW・看護師との話などから「想像とは違ってて安心しました」と言ってもらえました。
これには精神保健の歴史が関係していると考えていて、座敷牢・法律・事件・虐待などなど・・・。枚挙に暇がないほど挙げることができます。様々な要因が存在する中で、ある意味必然的に差別をされる環境が作られていったと言っても過言ではないと思います。どんなものでも、歴史があるものを変えるのは大変なことです。(精神保健の歴史については、また改めてお話ししたいと思います)
また、精神科病院は結構ヤブ医者扱いされることも少なからずあります。私が住んでいる地域での集まりの際に、私が精神科病院で働いていることを70歳前後の方に話したら、面と向かって「あそこヤブでしょ?」と言われました(超失礼でかなりイラッとしましたが、ちゃんと笑顔で大人の対応をしました)。それだけに限らず、SNSや掲示板サイトで悪評を書き込まれることもしばしばです。これは以前書いた「精神科は弱すぎる ①医療界で弱すぎる」につながるところもあるのかもしれません。
これらのように「受診させよう」と思い立っても、二の足を踏むことも少なからずあるようです。
・「治らない」から難しい
ここでは初診での話ではなく、継続して受診することの難しさについてお話します。
ところで・・・
「医療従事者のクセに『治らない』って言うな!」とお叱りの声がたくさん飛んできそうですが、あえて言わせてもらいます。
精神疾患は(ほとんどの場合)完治しません。
しかし、寛解の状態まで回復させることは十分にできると思っています。私は医師や看護師ではないので、ここまで言ってしまうのは越権みたいになってしまうのかもしれませんが、おおむね間違っていないと思っています。
これは「精神疾患だから」ということではなく、他の病気でも同じようなものはたくさんあるからです。下記の例で比較してみましょう。
<高血圧症の場合>
様々な心疾患になってしまう前に受診して、朝晩血圧を測るようになり、降圧剤を服用します。体重や脂肪が多い方は、ダイエットをします。食事にも気を遣います。場合によっては入院して、体調や生活リズムを整えます。
<うつ病の場合>
日常生活に支障をきたしたり、自傷や自殺をしたりする前に受診して、精神科Dr.と話をして、抗うつ薬を服用します。うつ病につながる原因を見出し、つつがなく日常生活が送れるよう、生活環境を整えます。場合によっては入院して、体調や生活リズムを整えます。
さて、何が違うでしょうか?
どちらも一度かかれば継続した治療が必要になるし、完治は困難なのでバランス良く付き合える手段を模索するし、忘れることもあれば急にきつくなることもあるし、受診しなくなることだってあります。
あくまでも個人的な意見ですが、精神疾患と言えども、他の慢性的な身体疾患とさほど違いはありません。強いて違いを挙げるなら「他者から様子や数値などで目視できるか否か」というところぐらいだと思います。少なくとも、私はそのように捉えています。
では、なぜ受診しなくなるのか。実は、私は答えを持ち合わせていません。ただ、様々な理由を聞くことはたくさんあります。
・薬の副作用がきつくて、それから逃れたい
・周りの人に理解してもらえないから、誰にも会いたくない
・(病識の無さから)自分はもう完治したから治療は必要ない
・病院に気に入らない奴(Dr.・スタッフ・患者など様々)がいる
・病院に行くと入院させられるから嫌(余程悪くない限りそんな事は無い)
おそらくですが、色々な要因が重なってしまうことで、受診すること自体を避けてしまうんだと思います。例えば私だって、何度も歯科に行くのが面倒になって、ある程度のところで通院を止めてしまったことが幾度もあります。でもそこには大した理由はありません。面倒とか用事が入ったとか、そんな程度です。誰にでも当たり前に起こりうることなのでしょうが、精神科にかかっている方にその傾向は強いように感じます。
なので、治療から離れていた患者が久しぶりに受診や入院となり、ある程度良くなるとまた離れ、また一時すると受診して・・・といった具合に繰り返すことも少なくありません。これは周囲の環境が整っていたとしても、必ずうまくいくとは限らず、難しいところなのかもしれません。
精神疾患はどんな人であっても罹患してしまう可能性があります。ただ、今の日本では「精神科に受診する」ということは、まだまだハードルが高いものなんだと思います(外国のことはよく知りませんが)。特に、自分自身で受診するというのは非常に困難です。周囲の人たちが受診につながるように協力するだけでも、その後は大きく変わります。
これを読んでくれた方が、少しでも前向きな気持ちを持ってくれて、少しでも精神科への受診がしやすくなれば、私は嬉しく思います。