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幼児教育に興味を持った理由

40歳を目前とし、人生の折り返し地点に来た感覚があった。
現在が自分の人生の山の頂上にきているのであれば、後はどうやってこの山を下りたいかを考えた。
どう下るのではなく、どう下りたいか

今後、先行き不透明な時代を生き抜くためにも,
「スキル」よりも自分の中に財産として蓄積できる「経験」を大切にしたいと感じた。

その「経験」が子どもと関わる経験であったらうれしいなと素直に感じた。
欲を出すとすれば、その経験を通じて少しでも社会に貢献できればもっと嬉しい。
そうやってゆっくりと自分のできる範囲内で、自分の人生の山を下っていきたいと思った。

こう思わせてくれたのは実際自分が2児の母になってからだ。
共働き子育てはもちろん楽ではない。
むしろ試練が多い。

それでも子ども達との日々の些細な出来事から発見が多く、それが自分自身の知的好奇心の刺激ポイントに刺さったのだと思う。

では、なぜ幼児教育だったのだろう?

なぜ幼児教育?

自分の過去の経験や、個人的に感じることから考えてみた。(根拠ゼロ)

1.幼児期は受容力が高い
経験が浅いからこそある意味、真っ新な状態ともいえる。
変な固定概念がないからこそ、無意識な偏見もない。

2.その後の人生における影響力が大きい(自分自身の経験から)
自分の幼少期を振り返ると、なぜか記憶が若いはずの中高大時代よりも、幼少期の記憶が断片的であるものの鮮明に覚えている。
やっぱり未熟である幼少期は”初めての体験”が多く、その分記憶としても強く残っている感覚がある(あくまでも個人的な見解に過ぎないが)
そう考えると幼児期の体験はその後の人生形成に大きく影響すると自分自身実感している。

3.親子で過ごす貴重な時間でもあるからこそ大切にしたい
就学前は子どもが好きをとことん追求できる貴重な期間であり、親もそれを応援できる時期である。義務教育が始まる前だからこそ、やるべきことの制約が少ない。この貴重な時期に子ども達の好きを探求するお手伝いをすることで、子ども達の笑顔を引き出せたら幸せだと個人的に思う。

4.子ども達の持つポテンシャルそのものに素直に感動した
大人が想像つかない子どもの想像力や発想力から学ぶことが多い、と私自身2児の母になり初めて気づかせてもらった。子ども達を観察しているだけでもたくさんの発見を得られる毎日。子ども達は未熟で幼い存在ではなく、可能性に満ちた個人である。大袈裟なことを言うと、子ども達の人権と尊厳を守り、社会全体で子どもを受け入れる許容力へつながるお手伝いができたら嬉しい。

今後の目標

子ども自らの「問いや発見」を探求できるような環境はどんな環境?

なんとなくだけど、
与えられることが多くなったと感じてしまう現代の子ども達
私自身も子どものためと思い、ついつい先回りして無意識に必要としてそうなものを与えてしまう。
そんな中、何を意識して子育てをすればいいのか私自身試行錯誤する中で、意識していることがある。

1.体験 = 楽しいだけでなく、失敗、悔しいなどの様々なリアル体験
2.感じる = 大人から与えられるものからでなく、主体的な体験から子ども自身が感じる
3.考えさせる = 答えを与えるのではなく、次はどうするかを考えるきっかけを与える

色んな体験を子どもに与えることで、その子自身の好きを見つけて、その好きや得意を伸ばすことができれば、その子の幸せにつながると信じている。

だからこそ、子ども達の好きを尊重する教育を当たり前にやっている海外の教育法に自然と魅力を感じてしまった。

大人になってから、自分自身の好きや得意を見つけることは色んな知識があるからこそ難しいのではないだろうか。

心行くまで知的好奇心を100%発揮できる幼児期に、
好きや得意を見つけることでそれが大人になってからの幸せに果たしてつながるのだろうか?
子どもの好きや得意を全力で応援できる環境はどんな環境だろうか?

そんな疑問の答えを見つけたく、
まずは多くの子ども達と触れる環境にキャリアチェンジしたいと思い、ひとまず約15年ほどのサラリーマン生活に幕を閉じた。

新たな目標は”幼児教育の専門家”を目指すこと。
どうやって?
その都度考えよう。

とりあえず今は自分の知的好奇心に従い、突き進みたいと思う。


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