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言葉にしなきゃいけないこと

もし、この世界に言葉がなかったらどうなるのかな。
悲しいとか嬉しいとか、楽しいとか辛いとか、怒りとか嫉妬とか、そういう感情にもともと名前がなかったら、どういう感じなんだろう。

色とか光とか視覚的に広がったりするのかもしれない。悲しいときに広がる世界は、灰色、黒、それから青。苦しくてしょうがないときに広がる世界は、真っ暗、いやもしかして目も開けられないくらいに突き刺してくるような明るさなのかも。もしくは、視覚的なものじゃなくて、太陽の光にふわっと包み込まれるような、しとしと降り続ける雨に濡れていくような、ぬるくてじめっとした強風に振り回されるような、そういう、感覚的に広がっていくものなのかもしれない。

悲しいときは灰色、黒、それから青。
私の中での、悲しい、はそういうイメージがあった。でも、色々と想像を広げていくと何色なのか分からなくなってくる。もしかすると紫、いや赤なのかもしれない。

目の前にいる人の悲しいの色をもし見れるとしたら、きっと想像している色と同じということはないんだろうな。そもそも、それを見ることはできないから、もしかしたら同じ色の人もいたりするのかも。

ある感情を抱いたとき、その感情を表す言葉がなかったとしても、きっとこうやって言葉の代わりに色や光や感覚みたいなものがあるんだと思う。でも、それを自分の外に出すこと、誰かに伝えようとすることは、限りなく難しいような気がする。

感情に名前をつけたり、名前をつけた感情を誰かに伝えたり、伝えたいと思ったり、そういう考えすら思い浮かばないのかもしれない。感情に名前をつけたい、名前をつけてこの人に伝えたい、そう思うのは、この世界に言葉があるからなんだ。

この世界には、言葉がある。
だから、自分の中にある何色でもない色に、明るくも暗くもない光に、輪郭のない感覚に、感情という名前をつける。

名前をつけたって、結局は見えないものなんだから全てを伝えることなんてできないけど、自分自身に、自分以外の誰かに、伝えたいという思いがあるから、私たちは必死に言葉を使うし、必死に言葉を並べようとする。

必死に伝えたい思いがあるとき、その先には必ず、伝えたい人がいる。

私たちが本当に言葉にしなきゃいけないことってなんだろう。

私の中にある、今一番大きな感情。その感情の先に、思い浮かぶ人がいる。もしこの感情を伝えたら、あの人はどんな顔をするんだろう。どんな顔になるんだろう。

いや、そんなことよりも、もしこの感情を伝えなかったら、私は、どんな顔をしてこれから生きていくんだろう。

そんなこと考えてたら、今すぐ伝えたい、伝えなきゃって思ってきたりして。

今、誰かに伝えなきゃならないことがあるなら、それは、言葉にしなきゃいけないことな気がする。



読んでくれてありがとうございます。

美保

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