わたしは自分が大嫌い


わたしは自分が嫌いです。無理に好きになろうとしても、辛いだけでした。何回も挑戦したんです、好きになろうと。

でも、

「あなたは自分のこと好きですか?」

という問いに

「はい」

と答えることはできずにいます。





自分を好きにならなければいけませんか?答えは・・・


「別に、自分のことを好きだろうが嫌いだろうが、どっちでも生きていけるからどっちでもいいよ」

でした。


確かに、自分のことを嫌いだろうが、好きだろうが、どっちでも生きているんだな、ということに気づきました。自分を嫌いなことが辛くて、好きになろうと努力をした、思い込んだ。でも今度はそれが辛かった。好きになろうと努力することが、辛くなった。皮肉。

生きることと、自分を好き・嫌い問題には直接的な関わりはありませんでした。生きることはできるのだから。

じゃあなんで、こんなにも苦しいのだろうか。自分が嫌いだからこんなに苦しいのだろうか。何か気づいていないことは、ないだろうか。わたしはこのままこの感情を放っておいて、いいのだろうか。後悔しないだろうか。わたしは、こんな人間なのだろうか。いや、いったいどんな人間なのだろうか。わからないことが多すぎる。ノートに書いて今の気持ちを書き出す。今考えていることに「なぜ?」「どうしたいの?」と疑問をぶつける。

答えというのは誰かが用意してくれているわけではないから、苦しい中自分で見つけるしかない。苦しい中、自分の足で進むしかない。これは本当に辛い。酷だ。そんなことを1人でやり続けるとあっという間に心は病むから、誰かの力も借りるんだけど。

自分を嫌いになると、自分を信じれなくなる。
自分を信じれなくなると、なにもできなくなる。
自分自身に必要な人間関係だって、築けなくなる。

「本当にそれがあなたの望んでいたこと?」
「あなたが好きと思えるものは、本当にない?」
「本当に、やりたいこと、ない?」
「自分に、嘘、ついてない?」

これらの質問が、1枚、また1枚と、心を覆っていた黒い膜のようなものを破っていく。自分への質問は、黒い膜を揺らがし、時に破ってくる、得体の知れない・少し痛い物体による衝撃だった。おそらく、黒い膜の中には、「本来の自分」がいるのだろう。「本来の自分」が不在の状態となっているのであれば、今のわたしは誰なんだろうか。そして、「生きた心地がしない」というのは、「誰かになりすまして生きているから」なのだと気づく。




大人になり、「理性」というものを手に入れた。この「理性」という能力を使って、他人と共存することができる。ただ、今自分に伝えておきたいのは、「理性」は「自分を忘れるものではない」ということだ。自分というものは、自分が忘れてはならないし、忘れなくてもいいもの。自分の好きなもの、大切にしたいもの、価値観もそうだ、忘れてしまっては、自分の大切なものを、全てを守れなくなってしまう。

だから、「生きてる心地がしない」のであれば、自分に質問を投げかけ、黒い膜を破る必要がある。「理性」は悪いものじゃない。黒い幕がなぜ発生したのか、そこが重要だ。黒い幕が自分を見えなくさせている。

「本当にそれがあなたの望んでいたこと?」
「あなたが好きと思えるものは、本当にない?」
「本当に、やりたいこと、ない?」
「自分に、嘘、ついてない?」

嘘をつく人を嫌うのに、どうして自分には平気で嘘をつくのだろうか。

「本当にそれがあなたの望んでいたこと?」
「あなたが好きと思えるものは、本当にない?」
「本当に、やりたいこと、ない?」
「自分に、嘘、ついてない?」

「嫌われないように」と生きた人生で得たもの・失ったものはなんだろうか。

「本当にそれがあなたの望んでいたこと?」
「あなたが好きと思えるものは、本当にない?」
「本当に、やりたいこと、ない?」
「自分に、嘘、ついてない?」

自信がない、は、しなくていい理由になるのだろうか。それは、死ぬ時に後悔しないと言えるだろうか。

「本当にそれがあなたの望んでいたこと?」
「あなたが好きと思えるものは、本当にない?」
「本当に、やりたいこと、ない?」
「自分に、嘘、ついてない?」

こうして言葉を書く自分も、また嫌いになるだろうか。真実を求める行為に、嫌悪感を抱くだろうか。

「本当にそれがあなたの望んでいたこと?」
「あなたが好きと思えるものは、本当にない?」
「本当に、やりたいこと、ない?」
「自分に、嘘、ついてない?」

自分の人生を、このまま生きて、死んでいく。死んでいくことは決まっている。嘘、自分に嘘、ついて生きていくのは、わたしが望んだことなのだろうか?自分をすきになれなくても、せめて、否定したくない。仲良くなりたい。苦しい記憶や、苦しい感情が湧いても、自分を生きることとは関係ない。わたしの価値は、存在価値は、自分で決めて構わない。人の言葉に惑わされる必要も、ない。

わたしは、まだあきらめてない。死んだように生きるのは嫌だ。時間は限られている。自分が大嫌いでも、進みたければその中でもがきながら進もうとしなければいけない。苦しくても。

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ちょこ
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