思考の質をあげたいと思ったわたし
ふと思うことがある。
なんでこの人はこんなにもためになる文章が書けるんだろうって。
こんなにも指示されてこんなにもいいねがつく、これってなんなんだろうって。
間違いなく、めちゃくちゃ考えている。1日1日過ぎていく中で、大量に考えている。わたし今考えているって気づかないくらいに当たり前のように1つ1つの物事や生き方に対して、自分に対して考えている。向き合っている。ボーーーーーっと生きてあんなに文章は生まれない気がする。
ボーーーーーっとしているときもあるし、ボーーーーーっとしてますよって言いそうだけど、視点とか、なんでだろう?って思う心とか持っているんじゃないかって。
自分の人生と本当に向き合う
向き合っているつもりじゃなくて。
わたしは前の職場を辞めるまで、考えきれていなかったと思うし、自分と本気で向かい合えていなかった。向き合えてる度は、もっと前、さらにもっと前に比べると上がっているとは思うけど、それでもまだまだ全然足りない。答えを出せるほどの思考の質ではない。だから突然人生迷子になって、壁を突破できなくなった。(今までは突破したつもり、だったんだろう。)
これは「なんとなくの代償」だと思ったりしてる。なんとなくで生きると、自分の言葉に重みはないし、行動にも輝きはなくなって、そして自分が自分を信じられなくなる。
どうして?なぜ?って自分に聞いてそれに答えを出していきながら、しっかりと考え進むことの大切さを思いしった。そして未来を輝かせるためには今を輝かせなければいけない。今は輝いていなくても、自分でいる以上は自分が1番自分を知っていないと、言葉にも、行動にも迷いが出る。そんな言葉や行動はとても薄っぺらくなることは自分が1番よく知っているはず。
そして、今した決断を、いつまでも間違いのままにしてしまう。
あの日の間違いも、失敗も、どこかのタイミングで正解、成功にしなければ次には進めない。
後悔し続けていても、前に進むことはできない。後悔した自分も、間違えてしまった自分も、失敗してしまった自分も含めて受け入れる。
(受け入れるって簡単に言えるけどこれも1つ、強くなる必要がある気がする。受け入れられたとき、自分は1つ、前に進んでいると思うから。)
自分を受け入れる
「過去の嫌な記憶の中にいる自分」を。
何度も何度も受け入れる練習をする。
一度でうまく受け入れられないことの方が多い。
生きづらさを感じている人や、過去にしにたいと思った人、今も希死念慮に苦しむ人、今も何かと戦っている人、いろんな人がいると思うけど、いろんな理由があってすんなりうまく自分を受け入れられる人ばかりじゃないと思う。
わたしもうまくできない1人。何回も同じこと呟いて次こそはってチャレンジする。それでもうまくできなくてまた失敗する。心に浮かぶ言葉なんて何回も何回も変わって、「また失敗」、「あ、いけるかも」の繰り返し。
でも幸せになりたいって思うし、楽しく生きたいって思うのが今のわたし。
全力で生きたいって思うのが今のわたし。
だからまずは、
「失敗してもいい」と思うようにした。
「途中でダメになってもいい」と思うようにした。
小さな1歩でいいから前に進もうとする気持ちを大切にした。
そして
「自分はダメな人間だ」とは思わないようにした。
「何もできない人間だ」とは思わないようにした。
思ってしまっても自分を許すようにした。
誰にも自分の価値を下げることはできないから。
絶対に、踏み出したい一歩を踏み出すって決めたから、途中で挫けてもきっと出来ると信じてる。絶対に命を終わらせたりなんかしない。
今の自分と真剣に向き合って、目の前の壁は突破すればいい。
気づけば壁なんて気にならなるし壁とも思わなくなる。noteを使って、いろんな方法を使って自分には考えてもらう。それが自分を大切にすることに繋がると思うから。
「自分を大切にしよう。」