132.持ってないものは与えられないってさ。
今年は秋が一瞬で終わってしまったことを風で感じて、
なんだか切ない気持ちになりますね。
春も秋もだいすきなんだけど、なんとも言えない「切なさ」と「儚さ」を
感じて少しだけ寒くなるような感情が生まれます。
適当な言葉が見つからない感情に出会うことが多い季節ですね。
考え事がまあ捗る捗る。
そんな中からひとつだけ今日は抽出して言語化していきましょう。
「持っていないものは与えられない」って話です。
すべての投稿がそうなんですけど……
そうじゃない意見を否定したり絶対にこれが正解だとは思っていないんですよね。今の私がどう思っているのかっていうのを残しておきたいだけ。
目に見えるものだとすごくわかりやすいなと思うんですよね。
例えば・・・「お金」ってすごくわかりやすいですよね。
「お金」を自分が持っていなければ「相手」に与えることはできない。
不可能ではないけれど「借金」という負担を背負ってとのことになる。
「自分の中に持っていなければ与えることができない」の具現化はお金が
1番わかりやすいのではないかと思います。
目に見えないものになるとこれが途端に見えにくくなってしまうのが
また厄介だなとも思ったりするのですが
例えば「優しさ」も「愛」も全部そうだなって思うんですね。
数字にするのが適当な表現ではないなと思うんですけど便利上数字にして
見てみましょう。
例えば自分が優しさを10持っているとして相手に5の優しさを差し出します。
相手も自分に対して優しさを5差し出してくれます。
そうするとお互いに満ち溢れていきます。
ところが5の優しさに対して相手が優しさを1返してくれたとすると
やりとりをしていく中で優しさを5上げた人が先に潰れてしまうのです。
潰れてしまうことを望んででも助けたいと思う瞬間もあるし
無意識のうちに潰れてしまうこともあるのでそこが難しいところですが。
持っていないと与えられないが証明された瞬間だなと最近、
身をもって感じていたわけですが一方通行が一概にダメではないけれど
「幸せ」を軸にした時にはおすすめはできないですね。笑
思いと言葉と行動が一致していない時に、
人はそれを「拗らせ」と呼ぶのかな、なんていうふうに思うわけです。
想っているなら行動しないとすぐにそのチャンスは失われていくんですね。
スピードもタイミングも見計らっている場合じゃないんですよね。
手に入れたいなら、そばにいたいならちゃんと伝えておかないと後で
その想いさえも伝えることができなかったってすっごく後悔する。
ときにはノリと勢いも大事です。
やってみて失敗だったって思うことは大抵未来にリカバリーできるチャンスが来るんだから、難しいことは考えずに想いのままに真っ直ぐに感情を
伝えられるそういうひとになりたいし、そういう人でいたい。
大事だなって想っていいじゃん。直感でそう想っていいじゃん。
言葉にしたならその分行動で見せていかないと。
言葉を発することは誰にでもできることだから。
行動から「愛」でも「優しさ」でも伝えていけるそんな大人になります。
持っていないと与えられないんだから、
たくさんもらって、たくさん作って
その分をまた恩返ししていったらいいかなって思っているので
しばらくお付き合いください。