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うちの犬。
SNSで、男性が飼い犬を虐待している動画が流れてきた。文章からどういうことをしているのかがわかったので、私は動画を見ずに閉じた。喉が詰まって胃が嫌な感じがした。
その後、別のSNSで、無事にその犬は保護され、飼い主も権利放棄し、早速医療も受けられることを知った。複数の保護団体だけでなく、地元の警察も早く捜査してくれたことが本当に良かった。
今、うちには保護施設出身の犬がいる。先代の犬もそうだった。先代の犬は迷子で保護され、元の飼い主があらわれなくて、そのまま譲渡犬となった高齢の子だった。初めての出会いは、保護センターの檻の中に敷かれた新聞紙の上に座っていて、一番最初の目が合ったのが先代犬だった。その子は私の布団の中で、私の隣で16歳で亡くなった。
今、うちにいる犬は元繁殖犬で、この子も高齢になり保護施設にやってきた。先代犬が亡くなった後に私と今の犬はその施設で出会い、うちにやってきた。ブリーダーのところでは適切な飼育がなされていなかったようで、声帯が切られていたり、爪も変形していたり、持病もあった。また、抱っこのされ方とかで人にちゃんと飼われたことがないんだなとわかった。
前の犬も今の犬も、うちに来た最初の頃は、当然のように私という人間を全く信用していないのか、距離を置いていた。私は焦らず、ご飯やお水、寝床など綺麗に整え、(安心していいんだよ) という空気感だけは漂うようにしていた。
先代の犬は、うちに来て1週間ほど経った夜中、私の布団の周りをしばらく歩いた後、意を決したように私が寝ている布団の中に入ってきて、そして眠った。私は犬を撫でながらぽろぽろないた。嬉しさとともに、こんな小さな犬が、どんな辛さを抱えていたのかなと思うと、悲しくてまた泣けてきた。それからは大の仲良しになった。
今いるブリーダー犬出身の子は、持病はあれど、老犬と思えないほど屈託なくてやんちゃで、とてもかわいい。まるで失った青春を取り戻すかのように、人間と一緒に毎日を楽しんでいる。私は、私の知らないこの犬の子ども時代や青年期はどんな生活だったのかなと、あえて考えないようにしている。考えても悲しくなるだけだ。でも、生まれてから十数年間、愛情をもらえてなくても、私がこれから何十倍もの愛情を持って一緒に暮らすから、もう何も心配しなくて大丈夫だ。(いや、今や私がこの子からたくさんの愛情をもらっているのだが)
このように、小さくかわいく、どんな飼い主であってもその人のことを誰よりも好きで、人間よりも早く死んでしまう犬をどうして虐待できるのか、全く理解できない。
動物病院通いや身の回りの世話など、正直お金はたくさんかかるし、労力も大変だ。子どもがひとり増えたのと変わらない。そう、自分の子どもと同じだから、大変なことはあっても、苦痛ではない。
誰かと一緒に暮らすということは、責任が生じる。人間もペットも同じだ。そういう覚悟を持たず、安易にペットを飼う人も多いのだろう。
いつか必ず別れが来るし、事情あって、私はもうこの子の後にはペットは飼わないと決めているので、あと何年一緒にいられるかわからないし、その日が来ないで欲しいとも思うが…。最後まで、責任をもって、しっかり守っていく。(いや、いつも守られているのは私かな…。私もしっかりしないといけないな…。)
私のところに来るまでにも、保護して、必要な医療を受けさせたり、丁寧に愛情をかけてくれた人たちがいる。そういう人たちの想いも持って、保護犬達はやってきた。その想いに報いるのも、飼い主の責任じゃないのかな。
最後に。
動物を虐待したって、自分の中の何かが完全に埋まったり、抱える問題が解決するわけでもない。
弱者にネガティブな感情を向けるのではなく、自分の中(の弱さ)に意識を向け、解決していけるようにもっていくことが大事だし、そういうことも大人は子どもにも教えていくべきではないか、とつくづく思う。