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Someone
数年前の『あの時』、わたしは誰かにはなしをきいてほしかったんだ。今なら分かるけど。
傷つきすぎたとき、心が苦しすぎるとき、心のコップがひび割れたり、水が満タンになってあふれてしまったとき、ひとは感じないようにすることで「大丈夫」と思おうとする。マヒさせ、思考停止し、心の機微をキャッチできなくする。自分を守る自己防衛本能で。壊れないように壊してく。
その時はそんな選択肢は浮かばないし、そもそも知らなかったりもする。知っていても選んじゃダメだって、ひとりで頑張んなきゃって、そう思う。
たしかに『あの時』わたしには誰か、"Someone"が必要だった。
そして、わたしは誰かの"Someone"になりたいんだな。
この動画をみて思った。
「わたしがいるから大丈夫」そんな強くはあれない。
でも「あなたがいてくれて良かったよ」「わたしと共に在ろう」とコトバはかけて、居ることはできる。
*
数カ月前、新型コロナウイルスがあらわれ広がったとき、あなたにとっての『あの時』じゃなかったろうか?
ひとりで頑張りすぎていないですんでる?
今、日常に戻ろうとしているけど、『あの時』の前の日常に戻ろうとしているかもしれないけど、
もしかしたら必要なのは、これからの日常に目を向けて歩んでいくことなのかもしれない。
『あの時』をハグして"Someone"と一緒に前を向いてみる。そんなのも選択肢としてあるかもしれぬ、やも。
■誰かにとってのSomeoneになりたいわたしは、
今日もはなしをきく。あなたインタビュー
https://choco.ryukyu/
■もっかい動画をペタ。挑戦し続けふんばるあなたへ
https://youtu.be/7eV_Z1xte0Q