子供叱るな来た道だもの 年寄り笑うな行く道だもの
久しぶりのnote更新になる。
実は昨年10月末に交通事故に遭いとても大変な日々を過ごしていた。
仕事も生活環境も色々考え直す良い時間となった。
それはまた別の記事で書こうと思う。
入院生活で同部屋で出会った気さくなおじさんと話していたら、母親と同年齢くらいでかなり貧しい生活をしていたので思うところがあり、書きたくなった。
親が定年退職、自分は不惑を迎えた
コロナが始まった翌年なので少し前のことになる。
元々からして祖父母が大好きだったし、周りの同年代と比べて老人に対して酷く思うことはあまりなかったように思う。
むしろ優しく接してくれた祖父母に感謝もしているし、周りのお年寄りも好きだ。
ただ、特に親が定年退職したことでまさに世間的には俺にとっての祖父母と同じ年齢になり、様々なものの見方が変わったように思う。
街なかで見かける母親と同じくらいの(年齢であろうと思われる)女性を見るとゆっくり歩いていたり、友人と話しながら道を塞いでいたり、コンビニでもたついたりしていても、昔は多少いらつくこともあったが、しょうがないよなって思うようになった。
自分と関わりのある人間や、関連する属性が側にいないとこういった感情は生まれないので、いい傾向かもしれないと思う。
障害者が家族にいれば、善悪ともに感情は芽生えるだろうし、苦労もわかるだろうというのに似ている。
横断歩道を渡る年寄りを手伝ったり、階段で大きなキャリーケース荷物を運ぶ人を助けたり、子連れの母子を手伝ったりと、自分の中で何かが変わっている。
自分自身も四十不惑になり、己の残り少ない人生について考えるようになったことも大きいのかもしれない。
惑わずなんていうけど、迷うことのほうが多い。
しかしもう残りの人生、独身男性なら60~70で死ぬと思うとたかだ20年数年しかないのだ。
特に食生活など不摂生をしている自分は早死するだろうことがうかがえる。
そんな歳を迎えるということは、親もまた同じだけ歳をとっているのだから、衰えを感じる。
高齢者に対して批判が高まっている件について
昨今は高齢者の車の運転事故が多発していて、各所から暴言が飛び交っており、他人事ではないなと思い心配にもなる。
田舎では車は交通の要で80とかでも普通に運転しているし、これがないと流石に自転車とかでは移動はとても無理だ。
親も事故を起こさないか不安だが、そういった事情も踏まえた上で数年に1度の免許更新という制度や、高齢者専用教習所や仕組みをもっと考えるべきだと思っている。
老後の資金についても今の高齢者はたしかに「一部の富裕層」はかなり貯蓄もあるし、逃げ切れているだろう。
特に夫婦健在のパターンだ。
しかし、田舎で母親の細腕ひとつ、俗に言うシングルマザーで育ててくれた俺の母親は収入もさほど高くなかっただろうし、年金も一般的な老夫婦に比べ圧倒的に少ないだろう。
実際に母親の弟、つまり俺のおじさんは大手電子機器や部品会社の支部勤めで退職金も出て、さらに扶養している家族もいるし、年金も倍以上の額らしい。
実の娘たちに一軒家をそれぞれ出資してやれるほどの金を持っている。この差を見ると本当に貧困層と低収入層と富裕層の差がすごい。
おそらく世間的な中間層~富裕層などはこのあたりのイメージで語っているのだろう。
本来戦うべき相手を見失ってはいけない
僕は思うに、日本国自体が苦しい状態で、自分より弱いものやもしくは羨ましいものに対して憎悪を向けるしかない世代間の論争にしようとしているマスメディアや国こそが本当に醜悪で仕方ない。
実際逃げ切っている層のものたちが、税金を無駄に使い込んだり、談合して甘い汁を吸っている自分たちへの国民の怒りや、何も成し遂げられない無能さを隠し通すためにこのようにしているとしか思えない。
周りをよく見てみればわかるが、老人世代が貯蓄があるといっても、悠々自適な生活をしているわけではない。
自分たちの親世代は息子や娘、孫などに対して多少なりとも助けを出しているはずだ。
縁を切ってるとか疎遠なのは個人の勝手なので置いておくが、全く助けを受けてない家庭はないだろう。
上にも書いたが、結局、自分たちが苦しいからより低いと見下しているものに対して優位性を保たないとやっていられないのだろう。
だから今回の高齢者叩きの風潮も、本質的には貧困にあえいでいる若者や既婚者で育児や生活が苦しい人間たちの救いを求めているものなんだなと捉えられるようになった。
独身や既婚子なしは社会インフラをフリーライドという風潮
そう考えるとこれからの子どもたちは本当に可哀想だなと思う。
何故かといえば、今の自分達が老人になったときには、今ほどの貯蓄も経済支援も出来そうにないからだ。
だから俺は独身であることは申し訳ないと思いながらも、税金はきちんと納めているし、自分の親だけでなく、他の誰かの親を支える年金のためにかなりの額を納めている。
表題のように、独身や既婚子なしは社会インフラフリーライドなどという心無い人が結構いることに憤りを感じるが、そんなことを言う人に限ってまぁ僕より税金収めてる人はほぼいない。
つまり経済的に満たされて、社会保障も満足いく充実手当があればこんな言葉は出て来ないはずなので、つまるところ自分たちだけが苦しいという感覚になっており、懐も心も貧しいということになる。
決して、独身が税金を収めてないわけでもないし、何なら実質の独身税もあるわけだけどそのあたりからは目を背け、ひたすらに自分たちの優位性を声高に掲げている。
育児が大変なのは社内の子育てメンバーを見てもよくわかるし、実際少しでも助けになればと各種調整はしている。
しかし、かつて自分たちが通ってきた道をまるで悪のように考えるのは少し考え直したほうが良い。
独身貴族などという言葉もかつてはあったが、独身最高などと大きな声で叫んでいる人なんて見たことないし、マスメディアが煽っている文章なだけで、結婚し伴侶がいて子供がいる幸福も、一人で自由に過ごす時間は比較できるものではないからだ。
その矛先は本来はどこに向けるべきなのかといえば、口先だけの政治家と自治体。
もうこのnoteの中でも数回書いてるいるが、同じ国民同士で争って足の引っ張り合いをしても仕方ないのだ。
子供叱るな来た道だもの 年寄り笑うな行く道だもの
そしてこのタイトルに結びつくわけだけど、自分たちが通ってきた道、つまり子供というより独身時代を思い出してほしいし、自分の祖父母や両親の今後のことを考えてみてほしい。
弱ってきた人間に対して何を言うのか、どんな仕打ちをしようとしているのか、今一度考えて欲しい。
決して高齢者を敬えとか優遇よくしろなんてことは一言も言うつもりはない。
それは20代、30代の働き盛りの若者たちだってバカじゃないんだから思慮出来るはず。
これから自分たちも高齢者に向かっていくわけで、時だけは平等に流れるものなので、いずれ行く道と過ぎた道について学んでいきたい。
では。