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【あの日の記憶】day115
正直この記事は今このタイミングで
書こうかどうか迷いました。
しかし、富山駅前をプラプラ歩いた
ことを縁に当時を想い起こせた
このタイミングでしか書けないので、
書いておくことにします。
迷うなら書け。書きたい時が書く
1番のタイミングですね。
人生の「まさか」という坂に
出会った16年前のあの日の話です。
今週、富山駅前に来ることがありました。
夜遅くなって、ゆっくり駅前を歩く機会が
あった時に、ふと、16年前のある記憶を
思い出しました。
久しく思い返すことが無かったのですが、
情景が脳裏に浮かびました。
それは2006年の12月、
父が亡くなる3日前のことです。
その時、私はこの北陸を2泊3日で
訪れていました。
深夜の午前2時、当時はスマホではなく、
「パカッ」と真ん中で開くタイプの携帯電話。
たぶんdocomoのFOMAだったかなと
思います。
その携帯電話のバイブレーションが
鳴り、目が覚めました。
「誰か?」眠い目をこすりながら、
携帯を見ると、母からでした。
父の危篤を知らせる電話でした。
その電話を受けて、急遽実家のある
茨城に帰ることにした私は、起きてくれた
先輩に富山駅まで車で送ってもらい、
始発電車を富山駅で待ちました。
北陸新幹線は無かった当時、今は3時間の
道のりでも、富山→越後湯沢まで特急、
越後湯沢から大宮まで上越新幹線という
経路だったので4時間くらいはかかって
いたんじゃ無いかと思います。
となると、病院に着いたのは朝10時過ぎ頃。
その2日後の夜に父は亡くなりました。
私は会話を交わすことはできませんでした。
「まさか」という坂は本当に待った無しで
突然にやってくる。
超えられない坂も中にはあります。
そしてその坂を超えたならば、
それまでの人生観や仕事観が一変します。
Something You Forgot … Along the Way
そしてその「まさか」の出来事は、
日々忙しく過ごす私が忘れている
本当に大切なものは何かを思い出させて
くれます。
もうすぐ父の日ですね☺️
父の日は、父に感謝を表す日。
アメリカ合衆国のドッド夫人が「母の日」に
ならって、父親に感謝するために白いバラを
贈ったのが始まり。 (Wikipediaより)
今年の父の日は2022年6月19日日曜日。