~夜中のルーティンから学ぶ~取り戻せないもの
大きな花束を抱えるように
「大きな花束を抱えるように
尿がめ抱えて、ナースステーションに
入ってこないでもらえる?」
ハンナの新人時代。
1年くらいは
看護師認定すら危うかった私。
致命的なすっとぼけ案件を
数えきれないほどに
持ち合わせている。
20年後に全く困らないくらい
書くネタがあるのは
大変ありがたいと
思うようになるとは。
お食事中の方はこれ以降
読むのをお控えください
今日は尿がめのお話しから
始めようと思う。(←え?)
まずそもそも、
尿がめとは何なのか。
尿は生きるために
とても大切な役割を果たしている。
かなり大切な
身体の調子を教えてくれるので、
患者の病気によっては特に注意して
尿を観察していく必要がある。
手術前後とか病気によっては
1日で
どれくらいの量の尿が出ていて、
色は大丈夫か、比重は大丈夫か等
いろいろな情報が詰め込まれた
尿に向き合うことになる。
そういうわけで
病棟に入院している患者の
何十人分もの尿を
溜めるということが
発生してくる。
それを溜めておく
ガラス製のかめが【尿がめ】
漫画に出てくるような
壺の形をしていて、
フタがついている。
容量としては
2.5ℓくらいはいける。
私たち看護師は、
その尿をタイムリーに観察し
異常があれば
ドクターに報告したり、
24時間溜められた
尿から(畜尿という)
状態を分析したりする。
なので、尿まわりの業務は
とても大切な仕事の
ひとつなのである。
当たり前だけど、
取り扱うのが「尿」なので
「汚物処理室」という
専用のスペースで
それらの業務は行われる。
私たちは深夜帯の0時や、
朝方6時など
病院や病棟で決められた
「尿締め時間」に
一気に何十人分もの
尿を処理する
【尿破棄】という業務がある。
0時や6時という時間は、
通常、人間が
元気に快活に朗らかに
活動する時間ではない。
人としての活動性が
極めて低い時間帯に、
私たちは重たい尿
(成人の1日の尿量は
およそ1000~1500ml前後)を、
ザバンザバンと
一気に流し捨てていくのである。
当然テンションはMAX低い。
新人の頃は
「とにかく大切な業務」として
叩きこまれていたので、
何の疑問も感じずに
せっせと重たい
ガラス製のかめを
ザンザン傾けて回った。
ちなみにこの尿がめ、今では
マイナーアイテムと化している。
時代と共に
畜尿界にも新しい風が吹き込み、
今は主にビニール袋状のものか、
畜尿マシーン(なんと
投入口から入れるだけで
量や比重の測定、検体用の
尿の取り置きなどをしてくれる。
一連の動作は患者は直接
触らなくていいように
投入口の蓋の開閉や操作の
自動音声案内までついていて
しゃべってもくれるすごさ。)で
行われることが多い。
重たいかめを
持ち上げて捨てる時代は
終わったのだ。
ただ、
20数年前はまだ
「かめ全盛期」(←なにその時代)
来る日も来る日も私たちは
深夜0時に
ザバンザバンしていた。
尿に対する慢心
少しその業務に慣れた頃、
私は重大なミスを犯した。
24時間畜尿で調べる
検査用の尿を確保し、
提出用の容器に入れるという
任務を見落としたのだ。
精魂込めて
溜めに溜めまくった
24時間の大切な
血と汗と涙の結晶。
(↑尿だけど)(←うるさい)
それを私は見事に
華麗なるかめさばきで
それはそれは
スムーズに捨てた。
その頃にはすっかり
かめの取り扱いにも慣れていたので、
完全に自分の中では
無意識でできる流れ作業と
なっていたのだ。
無事、尿破棄を全て終え
ステーションに戻った私に
先輩が
「井上さん、
○○さんの検体(提出する尿)
取ってくれた?」と聞いてきた。
それを聞いた私は
体感したことのない
血の気の引きようを感じた。
「す、捨てました…」
「は?」
「捨ててしまいました。」
「は?」
「ステテシマイマシタ…」
ハンナ、
またしても【は?事件】である。
今思うと新人の頃は
1日に20回くらいは
「は?」って言われてた。
それほど
恐怖のキーワード「は?」。
先輩と主治医と何よりも患者の気持ち
先輩:「何で捨てたの?」
ハ:「わかりません」
先輩:「捨てていいと思ったの?」
ハ:「思ってません」
先輩:「どうするの?」
ハ:「どうしましょう…」
先輩の恐怖の詰め寄りも
どうかとは思うけど、
何よりも
どうしましょうじゃない。
事の重大さに
私は泣きそうになったけれど、
グッと堪えた。
何より泣きたいのは先輩であり
主治医であり、患者である。
結局、震える声で当直医に報告し
朝、改めて爽やかに出勤してきた
主治医に報告するという
【夜勤帯の報告二重苦の刑】
主治医の立場に立って
考えてみてほしい。
朝の爽やかな勤務開始時に
この世の終わりみたいな
夜勤明けの顔を携えて、
蚊の鳴くような声の
新人看護師に
「尿を捨てた。ごめんなさい。
悪気はなかった。」
と言われる気持ち。
朝の爽やかさ、台無し。
なんなら
私が流されれば良かったのに…
とさえ思った。
そしてもっと考えてみてほしい。
患者の気持ち。
幸い、緊急を要する
タイミングではなかったので
次の日に再度提出すれば
OKとなったのだが、
患者のベッドサイドへ先輩と伺い
事の経緯について説明をし、
誠心誠意謝罪をした。
患者はなぜか爆笑したのちに、
私を励ましてくださった。
追加で24時間
尿を溜めないとならないのに
爆笑しながら
快く引き受けてくださったのである。
天使なの?(´༎ຶོρ༎ຶོ`)?
患者かと思ってたけど、
天使なの?(´༎ຶོρ༎ຶོ`)?
無事、
次の日に検体は提出され
患者の蓄尿も終わった。
患者には本当に感謝の気持ちで
いっぱいである。
極度の尿破棄恐怖症
私はそれから
【極度の尿破棄恐怖症】になった。
締め時間が近づくと、
「破棄してはならぬ…」と
ブツブツ念じだす。
胸が高鳴り、
検査一覧表を眺めては、
対象者の名前に
激しめに丸印を付ける。
患者の尿がめ自体には
赤いサインペンで
星印などを書いた紙を
貼り付けるなどして、
誰がみてもわかる
「特殊感」を出した。
23:50くらいにトイレに
畜尿をしに来た患者は
少しギョッとしたのではないだろうか。
他にも
とりあえず全員分を一旦
少しずつ取っておくという
ナゾ戦法(手間がすごいし
紙コップも無駄すぎる)など、
いくつかの方法を編み出しては
試す日々。
独自の尿破棄ルールで
畜尿界に新風を巻き起こし、
安心安全を生み出して
遵守することに躍起になっていた。
結局そういった
独自のルールというものは、
一般的にリスクマネジメントの
意識高い系業界代表である
我ら医療界では
あまり歓迎はされない。
ハンナひとりで
謎ルールを適応させるのは、
新たな第二の事故を
引き起こす可能性があるのだ。
というワケで
「病棟全体」という
大きめの単位で
みんなが統一して行う
対策・ルールの検討と
制定が行われることとなった。
事故報告書を
夜勤明けの
ほぼ機能していない
頭で書き上げ、
先輩と師長に確認してもらい
安全管理部に提出。
さらに後日、
対策についての
カンファレンスが行われ、
ハンナはナースステーションの
中央のテーブルで、
うそみたいに小さくなりながら、
今後どうしたら
同じような事故が起こらないかを
話し合い、皆にも
考えてもらったのであった。
それから20年以上が経っても、
尿破棄をするときには
ピシッと気持ちが
集中する。
おそらく他人の尿を
こんなにも真剣なまなざしと
態勢で見つめる人、
あまりいないと思う。
私は尿と
真剣に向き合い続けて
21年の実績を積んだ。
尿がめ花束事件
思い出したけど、
その事故のあとに
尿と尿がめを大切に思いすぎて
起こったことがあった。
それが【尿がめ花束事件】(←なにそれ)
ある日のこと。
いつもと違う尿破棄時間に
24時間畜尿が終わる
個室の患者がいた。
いつもは
0時が締め時間だけど、
オペのタイミングで
その患者は10時に
締め時間が来たのだった。
畜尿の場所も
いつもの汚物処理室ではなく個室。
そのこともあって、
私はいつも以上に
緊張感を持って、
個室で尿と向き合った。
検体を採取するにあたり
ちょっとした
疑問点が生じたのだが、
「自己判断してミスするより
先輩に確認した方が良い。」と
その時のハンナは考えた。
なにせ
捨てたら一巻の終わりである。
先輩に見てもらおうと、
ハンナはおもむろに
ずっしりとした
尿がめ(2ℓ入り)を
体の前に抱え、
ナースステーションに向かった。
「すみません、あのーぅ…」と、
入っていこうとした瞬間。
「ちょっと!!!!
何そんなもん、
そんな大事そうに抱えて!!
尿持って入ってきたら
汚いでしょうが!!」
「花束みたいに抱えないの!!
ほら!!床に!!
床に置いて!!」と
大きめの声で注意を受けた。
当然である。
2ℓの尿が生活圏内に
スーーーッと自然な
テンションで
入り込もうとしてるけど、
ダメ、絶対。
大きな声に
ビクッとしたハンナだったが、
尿がめだけは落とすものかと
必死に全力で
かめをお守りした。
結局先輩に
ナースステーションの入り口で
入室を阻止いただいたおかげで
ナースステーション内に
尿が持ち込まれることはなかった。
無事に疑問を解決し、
検体も採取されたのだが、
それから数年の間
先輩には
「ハンナさん、新人の頃、
尿がめを本当に大切そうに
抱えて入ってきたよねぇ…。」
と言われ続けた。
(実際には
入ってはいないけどね…と
悔し紛れのツッコミを
心の中でしていたけれど
あそこまで来ていたら、
まあ入ったも同然だよね
とも思う。)
結局それは謎に語り継がれ、
毎年新人さんが
入ってくるたびに
「大丈夫よ、この先輩はね、
最初ナースステーションに
尿がめ抱っこして入ってきたから。」
「子犬くらい
大事そうだったよねww」
「いや、花束くらいww」
「尿なのにww」
…そんなにずっと
語り継ぎます?
っていうほど
数年間は
飲み会のネタにされたハンナの
尿がめ花束事件。
ちなみに当時
働いていた病棟の先輩たちは
仕事では厳しくて
怖かったものの、
仕事以外のところでは
面白くて楽しくて
仲良くしてくれる
とても良い仲間たちだった。
非常にファミリー感のある
職場だったことは
補足として付け加えておきたい。
いじわるではなく、
完全に飲みのネタ話の
事件である。
渦巻くせつなさ
今でも、
渦を巻いて流れゆく
トイレでの排水の様子は
あの時、取り戻したくても
取り戻せなかった
尿の流れゆく様を思い出し、
ちょっぴりせつなくなる。
あの時私は
◍過ぎた時間と尿は取り戻せない
◍だから「今ここ」に集中すること
今の自分の目的と扱うものに
意識を向けて対峙することの
大切さを学んだ。
「時間と尿と集中力」
どれも私たちが
充実した人生を生きるのに
欠かせない大切なもの。
まさか畜尿をめぐって
学ぶことになるとは
思っていなかった。
だけどあの時、
うっかり流してしまった尿から
教われたからこそ、
忘れられない強烈な
インパクトを持って、
私に根付いたのだとも思う。
尿には感謝しかない。
今回は
尿というワードを頻発して、
本当に申し訳ないとは思っている。
みんなにも
この話を通して、
何かを考える
きっかけとなってくれていたら
嬉しい。
ちなみに尿の話は
これだけでは終わらないほどに
その後もあらゆる場面で
向き合うことになる。
その話はまたいつか機会があれば。
おしまい
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