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人生の半分以上好きな人 その1

30代半ばを迎えて、振り返ってずっと好きな人が2人いる。

1人は中学時代の同級生、もう1人は大石昌良という人。今までの想いや後悔を風化させないために備忘録として綴るためにnoteに登録した。最初は大石昌良という人から。

結論は、「推しは推せる時に推せ」、「好きな人の幸せを願え」ということ。以下長い備忘録。

SoundScheduleという関西発大型3ピースロックバンドは1999年に解散し、2006年に再結成した。その後ギターボーカルである大石昌良(以下 大石くん)はソロとしてミュージシャンを、ベースの沖裕志(以下 沖くん)、ドラムの川原洋二(以下 川原くん)は就職した。

中学生のとき、夜ラジオを聴きながら勉強をしていたら楽しげな声、なんとなく惹かれる声が聞こえて手を止めていた。すぐに好きになった。でもだれだったのかわからない。インターネットもなく、なんとなく忘れてしまっていた。それがSoundScheduleだった。

数年後、彼らに再開することができた。名前もわかりすぐ調べた。解散ライブが決まった後だった。チケットは取れなかった。

ギターボーカルの大石くんがソロになることを知った。今度はずっと応援したいと思った。大石くんはソロになって少しした後に自分のことを「ミュージシャン」ではなく「自営業」と言った。自分たちが彼をミュージシャンにしなければ、と思った。きっとあの場にいた人たちはみんなそう思っただろう。

音源がなく作ったばかりの2つの曲を披露した対バンも行った、1枚目の音源のサイン会も行った、部活を休んでインストアライブも行った、ライブの遠征もした。そうしないといけないと思っていた。

数年後にSoundScheduleが再結成した。叶わなかった大石くん、沖くん、川原くんが並ぶ姿をみて、音を浴びた。とても嬉しかった。終わらなければいいと思った。

さらに数年後大石くんがアニメの主題歌を歌った。周りに知っている人が増えた。とても嬉しかった。みんながわかってくれたと思った。でもすこし聞かなくなっていた。何故かわからなかった。彼は「ミュージシャン」と名乗るようになっていた。

そして別のアニメの主題歌を作り、大ヒットした。知っている人が急増した。嬉しかった。でも悔しかった。そして申し訳なくなった。だから聞く頻度が減ったのだとわかった。ジャンル関係なくどの曲も素晴らしい。売れて当然だ。もっと前から売れて当然だった。でもそうならなかった。自分たちのせいだと思った。

とんだ自意識過剰だ。自分一人でなにかできたはずはなかった。でもなにかしたのかと振り返るとなにもしていなかった。

自分だけが知っている、自分たちを必要とされている、そんな気持ちに酔っていたのかもしれない。

あのままだと彼は辞めていたかもしれない。

二度と会えなくなっていたかもしれない。

どれだけ遠くなっても、知らないことが増えても、できないことが増えても、続けてくれていることがなによりも嬉しい。いまとても安心している。

だって、会える媒体が増えた、知る機会が増えた、できなかったことができるようになった、ということだ。もう会えてよかったと泣くこともないだろう。

今は前ほどの気持ちを傾けられないかもしれない。

でも昔のほうがよかったとは思わない。

大事なことは彼が成し遂げること。

もしあの時の自分に何かを言うなら、「推しは推せる時に推せ」、「好きな人の幸せを願え」と言いたい。