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好きな川の名前がいえない

わたしが生まれ育った町には、川があった。

そのことがあってか、わたしは川が好きだ。海も好きだけど、広すぎてときどき途方に暮れてしまう。川はいつも上流から下流に流れている。潔くて、確かで、安心する。

川が好きな理由は、そんなことでいいんだと思う。太陽が水面にうつって綺麗だったとか、単に気持ちがいいからだとか。

あるとき、川が好きだという話をしたときに「じゃあいろんな川行ってるんですね、どこの川が良かったですか?」と聞かれたことがあった。そのときにわたしは面食らってうまく答えられなくなってしまった。

その人とは出会ったばかりだったし、彼女が悪いわけでもなんでもない。でも、こういう瞬間がつみかさなっていくと、その微妙なズレで疲れてしまうのも事実だった。最近は比較的「好きな川の名前を言える人」たちと多く出会っている感覚があった。そして少し、疲れていた。

わたしは、好きな川の名前がいえない。


異なる感覚や文化をもつひとと出会う度に、自分の感覚を疑うことになる。これでいいんだろうか。好きなものの説明もできないのだろうか。わたしがおかしいのだろうか。一度はそうやって考えてみるけれど、結局はどちらが良い・悪いという話ではないな、と思う。そして自分の輪郭が濃くなっていくのを感じる。

今日、そんな話を大切な友人に聞いてもらった。

友人は、確固たる自分をもっていて、迷うことがない訳ではないと思うけれど、その芯のある姿にわたしはいつも憧れていた。彼女は「そんなひともいるんだねえ」と驚きながらも

「いろんな人と出会うなかで、そうやって迷うのは当然のことだと思うよ」

と、まっすぐに言ってくれた。


なんだか、ほっとした。わかってくれる人がいるということ。そうやって丸ごと認めてくれる人がいること。違いがあって、いいんだって思えて。

その質問をしてくれたひととも、見ている世界や、その切り取り方が違うというだけなのだ。わたしは川という存在が好きで、それ以上も以下でもない。人にはいろんな「好き」がある。そのことを理解できる人でいたいなあと思う。


悩む度に自分を確認していく。もう、なかなか変われないだろうな。だけどこのままでいたいと思う。

わたしは、好きな川の名前がいえない。

うれちい