ズボン登校の覚悟
皆様こんにちは。クロルと申します。私は現在、FTMの治療と手術のためにGIDクリニックを通院しております。
今回は私が高校でズボン登校した実体験を語ります。
私の情報が少しでも皆様のお役に立てると嬉しいです。では、見ていきましょう。
安易な選択
高校はズボンを履けるかどうかで選びました。私の通っていた高校では制服にズボンを選択することができたので、その高校に進むことに。
「これで普通に登校できる!」と安堵したのを覚えています。しかし、ズボン登校は簡単な道ではありませんでした。
制度が完全でない
まず、ズボンは選択できるというだけでした。制服を最初に購入する際、ズボンを購入するという選択肢は用意されていませんでした。最初は絶対スカートを購入させられます。これは、ハッキリ言ってお金の無駄です。当時、かなり苛立った覚えがあります。騙されたのと同じわけですから。
当時、ズボンを仕立てて貰うため、わざわざ別の店に足を運ばなければなりませんでした。時間も無駄にしています。
私の選んだ高校は制度が不完全な状態でした。当時は世間でLGBTの言葉が広まり、配慮ある制度が出来ていたんだと思います。
しかし、前例がなかったため、制度だけの状態だったのだと推測します。
現実
スカートはすぐ届きましたが、ズボンは届くまでに数週間を要しました。待ちに待ったズボン登校は先送りにされ、初登校は忌々しいスカート。その後も数週間スカートで過ごさなければなりませんでした。
そして、当時の私は学校を色々と見て回り、ある事実に気が付きます。
─女性でズボンを履いている人はどこにもいない。
つまり、制度を利用している人は私が見る限り、一人もいなかったわけです。急に孤独感と不安が募ります。
孤独になる覚悟
ある日、念願のズボンが送られてきました。これでズボンを履いて学校に行けます。しかし、学校に行くのには相当な覚悟が要りました。女性で誰もズボンを履いている人はおらず、男性でスカートを履いている人もいません。
つまり、私は全校生徒から特異な目で見られる覚悟を持たなければなりませんでした。そう考えると、あんなに願っていたズボン登校を躊躇してしまいます。せっかく出来た友達も失うかもしれません。すっっっっっごく怖かったです笑。
しかし、私はその日、ズボンを手に取り、履いて家を出ました。
─今ここでズボンを履いて登校出来なければ一生このままだ。そんなの絶対に嫌だ!
その気持ちが私を奮い立たせました。
浴びせられる声
登校初日、廊下で周りの生徒は私を見てすれ違う度に「なんであの子ズボン履いているの?」と声を上げます。私は聞こえないふりをして教室まで歩きました。教室に着いても、クラスメイトは似たような声を上げてざわめいていました。
予想通りです。私には算段がありました。周りはズボンで登校したらダメだという見識でしたが、高校ではズボンで登校することが認められています。覚悟が決まった私は堂々と椅子に座りました。
先生が来て「ズボンを履いている」とクラスメイトに報告されましたが、学校側で制度が存在しているので、当然何もなく一日は終わりました。
覚悟がもたらした変化
ズボン登校から数日間は周りがザワザワとしていましたが、友人関係は変わりなく平和に過ごしていました。周囲も学校側で何もないと分かった途端、日常に戻ります。
そして、私の覚悟は学校に変化をもたらしました。同年代でズボンを履く生徒が増えたのです。私が履く前(といっても届いてから最短で履きましたが)は誰一人履いていませんでしたが、数週間経って、履く人がチラホラと。おそらく、感化されたのだと思います。
上級生にもいつの間にかズボンを履いている人が。私の影響かは分かりませんが、新たな風が吹いているのを感じました。
私が2年、3年になっても下級生がズボンを着用しているところを見たことがあります。私の覚悟は無駄ではありませんでした。目に見えると嬉しいものですね。
羨望
高校を卒業してから数ヶ月経ち、私は女友達とカラオケに行きました。そこで彼女から驚きの言葉を聞かされます。
「あの時、お前が堂々とズボンを履いているのが羨ましかった」
正直、私は「はぁ?」と思いました。湧き出る感情は怒りです。彼女はクラスも同じで、クラス別々になった時も昼を一緒に食べていました。彼女の姿をほぼ毎日見ていますが、ズボンで登校してきたことは一度もありません。それなのに、羨ましいってどういうことだ?と私は思いました。
私はズボンで登校するのことに途轍もない覚悟を要しました。その覚悟も知らず、ズボンを一度も履いて登校したことがない人に「羨ましい」と言われても…正直、呆れますよね。
すみません、愚痴です笑。
終わりに
今回は当時の体験談を話させていただきました。最後までご覧いただき、ありがとうございます。皆様の未来の幸多きことを祈っております。では。