「ピアノ・レッスン」(1993年)
よく名作として名前のあがる作品なのだが、未見だった。
さすがに高い評価を得ているだけあって、すばらしい。
登場人物は少ないし、ジャングルの奥地にある集落みたいなところでほとんどの物語が展開する。それでも歴史大作を観たような気分にさせられる。ちなみに製作費は700万ドルで、chatGPTに聞いたら、当時の為替で8億7500万円相当だそうだ。どこで使ったのかわからないが、さほど低予算でもない気がする。
それはともかく、主演のホリー・ハンターは、観ていてずっと「こんな顔だったっけ」と思っていて、観終わってからネットで画像を調べたのだが、映画に出ていた彼女とどうしても一致しなかった。この感覚は「ゴッド・ファーザー」でアル・パチーノがマイケル・コルレオーネにしか見えないのと似ている。
時代は1852年。主人公のエイダは、娘のフローラとともに、スコットランドからニュージーランドへ。そこには入植者のスチュアートが待っていた。彼は、エイダの夫になる人物だった。
エイダは6歳の時から話すのをやめていた。そのかわり、ピアノを弾くのだった。
スチュアートはエイダのピアノに理解を示さず、到着した海辺に放置したまま、彼女をジャングルの奥地にある自分の家につれていく。そこには先住民のマオリ族もいた。マオリ族の男べインズは、エイダに興味を持つ。スチュアートが土地を欲しがっているのを知っており、エイダのピアノと引き換えに土地を売る。そして、エイダには、自分にピアノを教えてくれたら、ピアノを返そう、という。
エイダはピアノを弾くが、べインズは本当はピアノを習う気はなくて、エイダとふたりきりになりたかった。彼の要求にこたえるたびに、少しずつピアノを返していく、という取引をする。
やがてエイダはべインズに惹かれていく。
これは行きて帰りし物語の構成で作られた恋愛映画だ。
作中でエイダが弾く曲は、彼女の心境を反映しているのだろうか。なんという曲を弾いているのかわからないので、気になった。物語が進むにつれて、演奏する曲は、どのように変化していったのだろうか。べインズに対する気持ちを、曲の変化に沿って感じることはできるのだろうか。
エイダがピアノに執着しているのは、映画の冒頭からあきらかで、海辺に迎えにきたスチュワートに、どうしてもピアノを運んでほしいと頼んだにもかかわらず、スチュワートはピアノを放置する。しかし、べインズはエイダを手にいれるためにはまずはピアノを手にいれる必要があると見抜く。やっぱり、女性は自分を理解してくれる男が好きになるよな、と当たり前のことを思った。男も、自分を理解してくれる女性を好きになるわけだし。
ただ、スチュワートがだめな奴かというとそうでもないのかもしれない。当時はまだ女性は所有物だったのかもしれない。そうは言いつつ、スチュワートがなぜエイダをめとったのか、疑問は残る。スチュワートは他の人間に対して「金はないぞ」という発言もしている。エイダは家事もしなくて、ただいるだけなのだ。金もないのに、なぜスコットランドからエイダを招いたのか。これは疑問だった。
他にも謎はある。
なぜ、エイダは6歳で口をきけなくなったのか。
フローラの父親はもちろんエイダの夫だろうが、それは誰なのか。というか、フローラが父親について語るくだりがあるが、それは本当なのだろうか。
説明されない疑問が多々あるにもかかわらず、本作はすばらしい。役者や音楽の良さはもちろんある。それだけでなく、「The Piano」という原題の通り、物語のすべてが一台のピアノに集約されるというストーリーテリングのうまさにあると思う。