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第13回 幸せに……なれますか?
土曜日の午前中に金子家を訪れた。いつものように執事が出迎えた。母屋の玄関で蝶が待っていた。今日は花も一緒だった。
蝶の部屋は以前と同じく、甘い香水の匂いがした。
三人で折りたたみ式のちゃぶ台を囲んで紅茶を飲んだ。
「ねぇ」
蝶が大判のクロッキー帳を差し出した。色々なことが書き出してあった。イラストもあるし、文字で書いてあることもあった。マインドマップに見えなくもないけど、すべてが線でつながっているわけではなかった。
たとえば「海外旅行」という文字。船の絵。「出会った頃のこと」というクレヨンの文字。ふたりの女の子が手をつないで笑っている絵。色鉛筆で描かれたドレスの絵。「結婚式」という文字。家のイラスト。家族のイラスト。海から太陽が昇ってくるイラスト。「未来」という文字。
「これを全部ですか?」
洋介が聞くと、蝶と花は顔を見合わせた。
「まさか」
蝶が言うと、花が「まさかまさか」とおどけた調子でつけくわえて、ふたりは声を上げて笑った。洋介はこわばった笑みを浮かべた。蝶はちゃぶ台の上にクロッキー帳を広げると、草原でふたりの少女が手をつないで夜空を見上げている絵を描いた。星空には流れ星が光の筋を作っていた。
「この中で一番いいと思うものをさいごの風景にするの」
蝶が描いた絵の中に、花がUFOを描きくわえた。
「UFOなんか必要?」
蝶が言うと、花は首をかしげた。
「たぶんいらないと思う。思いついたから描いておいただけ」
「見たことのない風景は無理ですよ。火星にいくとか、怪物を倒すとか、そういうのは無理です」
洋介が言うと、蝶は笑った。
「小学校の男子じゃないんだから、そんなこと考えるわけがないでしょ」
洋介はむっとして眉間に皺を寄せた。でも、蝶は喋り続けた。
「ねぇ、海外旅行とかだと、やっぱり現場にいかなくちゃいけないの?」
「できるだけそうしたほうがいいですね」
それを聞くと、花が表情を曇らせた。
「私は海外旅行なんか無理だな。少なくとも今はそういう状況じゃないし」
すると蝶は花を抱き寄せて頭をくっつけた。
「悲しまないで。今は楽しいことを考えましょう。海外旅行のアイデアはやめよう。大学生になってから、ふたりでいこう」
花はうなずいた。蝶は花を強く抱きしめた。
「資料はたくさんあるから大丈夫よ」
そう言って蝶は傍らからボール紙製の白い小箱を取り上げると、中身をちゃぶ台の上に広げた。インテリア雑誌や、海外ミュージシャンの雑誌インタビューの切り抜きなんかだった。雑誌や新聞の切り抜きだけでなく、蝶が撮ったらしき明治神宮の写真などもあった。それらをひとつひとつ眺めては、不要なものを箱に戻していった。ふたりは、ああでもないこうでもないと風景を探した。
花が聞いた。
「さいごの風景があると、幸せに……なれますか?」
洋介は申し訳なさそうに言った。
「たとえば不幸のどん底だった方が、突然日常を幸せに過ごせるようになる、というわけではありません……」
すると花はあからさまにがっかりした。洋介は続けた。
「ただ、さいごの風景を見ている間は幸せになれます。今までたくさんの人にさいごの風景を納品した実績がそれを裏づけています」
花の表情は曇ったままだった。
「私は絶対的な幸福が欲しいんです」
「生きていると、いいことも悪いこともあります。だからさいごの風景が役に立つんです。さいごに戻りたい風景をリアルに思い浮かべることで、その時の幸せな状態に戻れるんです」
花は不服そうだった。蝶が花の手を取って指を絡ませた。蝶が言った。
「私たちだけの世界があったら、それはすごく幸せだと思わない?」
「そうね。きっとそうだと思う」
花が洋介に聞いた。
「高橋さんは幸せですか?」
洋介は答えられなかった。黙っていると、今度は蝶が聞いた。
「あなたもさいごの風景を持っているの?」
「持っています」
洋介は海辺の風景について語った。江の島にある展望台や上空を旋回する鳶のことだ。
「素敵な風景ね」
蝶が微笑んだ。
「シンプルで、あなたにだけ価値がわかる。そういうものは古びることがないのかもしれないわね。私たちもそういう風景が欲しいわ」
「納得のいく風景を選んでください」
蝶と花は見つめ合って微笑んだ。
「シンプルで私たちにだけ価値がわかる風景……」
口元に手を当ててじっくりと考える蝶は、目つきが変わっていて、あどけなさの残る十代の顔ではなく、たくさんの経験を積んだ人間のそれに見えた。
「そうするとこれは役に立たないということになるわね」
ちゃぶ台の上に広げた切り抜きを示して、蝶は呟いた。
「これは印刷されているのだからたくさんの人が価値を認めているはずなのよ。そうでなければ印刷するわけがないもの。まあ、私が撮った写真も入っているけど」
資料を全部片づけた。
「私たちはさいごの風景を自分たちの力で見つけなくてはいけない」
花は蝶の顔をじっと見つめていた。やがて蝶が口を開いた。
「坂道にしよう」
迷いがなかった。
「私たちが離ればなれになっても、その場所に戻ればもう一度会えるような。そんな坂道をさいごの風景にしよう。住宅街だと町並みが変わってしまう。だけど坂道そのものは、少なくとも私たちが生きている間は残っているでしょう。だから私たちは坂道の風景を記憶して、さいごにはそこに戻るようにしよう」
花はうなずいた。
「坂道を探しにいこう」
蝶は宣言して立ち上がった。花に手を差し伸べた。花はその手を取った。
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