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ゼロの未来

テリー・ギリアムの復活を感じられたのがうれしかった。
「ローズ・イン・タイドランド」「Dr.パルナサスの鏡」は、イマジネーションは豊かだったのだが、物足りなさがあった。今にして思えば、それまでのギリアム作品に観られた痛烈な社会批判が消えてしまっていたからかもしれない。あくまでも今にして思えば、ということで、当時は「なんか違うんだよなあ」って程度だった。
そういうことがあって、本作にはあまり期待していなかったのだが、久しぶりに観たギリアムは調子を取り戻していた。これはうれしい。

2013年の映画だが、メタバースを先取りしている。
メタ社がプレゼンテーションしているようなメタバースが出てくるわけではないのだが、概念としてはメタバースだと思う。
そんな世界で、主人公は人生の目的を探している。
彼は職場の上司に在宅勤務を申し出て、受理される。「ゼロの定理」を発見することを命じられる。

管理社会を扱ったディストピア映画かと思って観ていたら、そもそも世界なんてものはないんだ、みんなデジタルなんだ、おれもお前も存在しないんだ。という話に展開していく。つまり、主人公が探している人生の目的などというものは探すだけ無意味なのだ。これがゼロの定理なんだろう。

途中まで、ギリアムもわかりやすい話を作るようになったなあ、これでハッピーエンドだったらどうしよう、なんて思っていたが、途中からそうでもなくなってきて、ほっとした。語り口がうまくなっただけだったようだ。

あいかわらず予算はあまりないようで、舞台はほとんどが主人公の自宅。登場人物も少ない。それでもちゃんと楽しめるものを作れるのはすごいと思う。
主演はクリストフ・ヴァルツ。この人は本当にいい俳優だ。なにをやってもうまい。彼のいいところは、ちゃんと悪役もやれるところだ。ゲイリー・オールドマンは好きな俳優だが、ダークナイトに出はじめたころからか、すっかりいい人になってしまった。

本作は今までのギリアムにくらべて映像がきれいになっていた。手作り感覚が薄れている。「パルナサス」あたりからそういう傾向はあったが。小生は、あの手作り感は垢抜けない印象があって、さほど好きではなかったからいいんだけど。
本作では、デジタルにつながるということが再三語られるのだが、ギリアム自身の映画がデジタルになってきたことを踏まえると、自虐の念もあるのかなと思う。

ドン・キホーテも観たいな、と思った。

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