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横浜狂言堂230709(和泉流)

「文山賊(ふみやまだち)」
二人組の山賊が主人公。仕事がうまくいかずに、喧嘩になる。殺し合いをすることになるのだが、見物人もいないところでやるのもなんだな、という話になる。
では遺書を残そうではないか、と。
ふたりがあれこれと掛け合いをしながら、遺書を書いていくのだが、結局は仲直りをするという話。

たとえばこれが外国人同士だったとする。言語も文化も違っていたら、やっぱりこういう風にこじれるかもしれない。
そういう意味ではとても現代的な物語な気がする。

「悪太郎」
悪太郎という男が、叔父の家にいき、酒をご馳走になる。この男は名前の通りの悪漢で、泥酔して薙刀を振り回したりする。
やがて泥酔して、帰路につく。道端で眠りこけてしまう。あとからやってきた叔父が、悪太郎の頭を丸めて髭も剃ってしまう。
目が覚めた悪太郎は、自分の髪や髭がなくなっているのに気づいて驚く。
そこに僧侶が南無阿弥陀仏と唱えながら通りかかる。悪太郎は、夢で聞いた自分の名前だと言って僧侶についていく。

この物語は悪太郎という男の改心についての話だ。悪太郎という男は、自らの行いにストレスを感じて、酒を飲んでは暴れていたのかもしれない。そういう男でも改心することができる。そういう道徳的な物語なのだと思う。

狂言は普通の人々の身におこりうる物語だ。それは現代にも通ずる普遍性があって、学ぶことが多いと感じた。

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