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仮面 ペルソナ
イングマール・ベルイマン、1967年の作品。
非常に見応えのある映画だった。
毒グモや、動物の殺害シーンなど、謎の映像が続く。磔刑のキリストのような手に釘を打たれるシーンも。
冒頭、寝台に横たわる少年の映像は、メイプルソープの写真のような性質の美しさがある。この作品は構図が素晴らしい。
女優のエリーサベットは、突然喋らなくなり、入院した。
彼女にとって演じることと喋ることは同一のもののようだ。
それはそうかもしれない。他者になにかを伝える手段として喋るのであれば、そこにはなんらかの演技が含まれるだろう。だったら喋らなければ、本物の自分でいられることになる。
途中、入院しているエリーサベットがラジオをじっと見つめていると、部屋が徐々に暗くなっていく。このショット、「叫びとささやき」でもあった。どうやってとっているのだろうか。人間の心理の変化を表現する、すごい演出だ。この監督は光の使い方が非常にうまい。
物語は病院から、病院長の別荘に移動する。
エリーサベットと看護婦がふたりで別荘に暮らして療養するのだ。
エリーサベットは微笑んだりして感情を伝えるが、言葉は発しない。逆に看護師はしゃべることで自分を表現する。相手に自分の内面を打ち明け、親しくなろうとする。しかしエリーサベットに裏切られ、彼女は怒る。
看護婦とエリーサベットは一緒に暮らすうちに同一化してしまう。
ある晩エリーサベットの夫が訪ねてくるが、看護師をエリーサベットだと思って話しかける。背後にエリーサベットがいるにもかかわらず。
しかし、このシーンは幻想だったのかもしれない。はっきりと区別はされなかった。幻想でも現実でもいい。なにしろふたりは同一化したのだ。
別荘から街に戻ることになったとき、街に向かうバスに乗ったのは1人だけだった。
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