「ハリー・ポッターと死の秘宝 PART 2」(2011年)
いよいよ最終話となる。
ハリーポッターとヴォルデモート卿の最終決戦は、ホグワーツ魔法魔術学校との全面戦争の様相をなす。こぢんまりとした印象になりそうだが、そうでもなくて、見ごたえのある戦いになっている。
本シリーズは「魔法と冒険」といった古典的な要素を扱っているとはいえ、映像に関してはかなり挑戦的だった。そのおかげで、最終決戦も迫力のある映像になっていたのだと思う。予算が桁違いなのもあるし、演出もうまかったのだろう。
実際、興行収入は1,990億円。シリーズで最高額だ。
普通、シリーズものは、だんだんとしょぼくなっていくのだが、最終作が一番売れるというのはすごい。このシリーズがいかに愛されていたかという証明だろう。もちろん、愛されるだけのクオリティを維持し続けてきたから、ということだ。
本作は、最初から最後まで「あなたはひとりではない」というメッセージが貫かれていた。ひとつの強い問いが、これほどの物語を動かし、世界を感動させるのだということに感動を覚える。
つけくわえるならば、「ひとりではない」のは、ハリーとヴォルデモート卿の関係性においても同様だった。最終的には、このふたりの関係性が「ひとりではない」という言葉に深みを増している。
本作にはたくさんのキャラクターが登場する。
その中でも、個人的な推しメンはスネイプ先生であった。
謎に満ちたキャラクターだったというのもあるが、なによりも、演じていたのがアラン・リックマンだったからだ。「ダイ・ハード」でテロリストのボスを演じていた彼は、金髪のイケメンおやじで、一歩間違えばB級映画でよく見るタイプになりかねなかった。しかし、アラン・リックマンは、どこか貴族的な雰囲気を漂わせており、チンピラまがいのテロリストとは一線を画していた。本人はイギリスの労働者階級出身だそうだが、労働党の元地方議会議員とつきあっており、最終的には結婚したという話だから、知性や教養があるのだろう。
徹底的にスローモーションを使わなかった「ダイ・ハード」の中で、唯一のスローモーションのシーンが、アラン・リックマン演じるテロリストのボスがビルから落下していくシーンだった。だからというわけではなかろうが、とにかくアラン・リックマンは自分に強烈な印象を残したのだった。
その彼が、ハリー・ポッターに出演しており、最初は驚いた。さらにスネイプ先生という、敵なのか味方なのかよくわからない人物を演じている。テロリストのボスとは違い、非常に深みのある演技をしていて、小生は完全にノックアウトされてしまった。
そのような個人的な想い入れもありつつ、全8作を存分に楽しんだ。公開当初はアイドル映画的な人気が気にいらなかったし、原作も苦手なフォントが使われていたので読めなかった。さらに、最近、原書で一巻を読んでみたが、児童文学というわりには英語がむずかしくて、まったくわからなかった。
このような事情で、今回はじめて観ることができた。だいぶ遅くなったが、このような素晴らしい映画に出会えたことを嬉しく思う。そして、こういう大ヒットした映画の中に、なにかを見つけようとする姿勢は大切だと思った。
ヒットする映画がどれも素晴らしいわけではないし、素晴らしい映画がどれもヒットするわけでもない。「ハリー・ポッター」シリーズは、ヒットした素晴らしい映画だった。
失業していたJ・K・ローリングが本作のおかげで一躍成功した姿は、両親を殺されたハリーが、現実世界の養父母から、ひどい扱いを受けながらも、やがて、伝説の魔法使いとして成長していく姿にかぶる。
このシリーズは、まだこの世界には魔法が残っているのだという証明のような気がしてくるのだ。
https://www.youtube.com/watch?v=Gky8xHHSiqE&t=1s