第10回 決心
アポなしで金子家を訪れた洋介は、執事に、蝶に会いたいと伝えた。
執事は洋介を残して母屋に戻っていった。五分ほど経って、もう一度インターフォンを鳴らそうとした時に、ようやく勝手口の扉が開いた。顔を出したのは制服姿の蝶だった。
蝶は目が充血していて、口紅が少し落ちていた。洋介は突然の来訪を詫びた。蝶は顔にかかった髪を払った。
「勉強していたのよ」
そう言って、蝶は踵を返した。入れとは言われなかったけど、洋介はついていった。小道の途中で蝶が足を止めて振り向いた。
「私の部屋で話しましょう」
金子家の母屋に上がるのは、はじめてだった。木の匂いがした。洋介が玄関の扉を閉めると、どこかで聞こえていた話し声がやんだ。
蝶は階段を上っていった。洋介はそれに続いた。二階の廊下には厚い絨毯が敷いてあって、足音を吸収した。いくつもある扉のうちのひとつを開けると、十畳ほどの洋室だった。
「座ってて」
蝶は一階に戻っていった。
室内は香水の香りがした。
まず目についたのは勉強机とベッドだった。床にラグマットが敷いてあって、折りたたみ式のちゃぶ台がセットしてある。壁際に大きな本棚があって、本が並んでいた。アンティーク調のハンガーラックがあって、洋服がかかっていた。ベッドには、カバー代わりにキルトがかけてある。ぬいぐるみやキャラクターグッズはなかった。
やがて蝶がティーポットとカップを運んできた。ちゃぶ台の上にカップを置いて、紅茶を注いだ。アップルティーのさわやかな香りが漂った。
「男の人をこの部屋に入れたことはないのよ」
洋介は紅茶と一緒に生唾を飲み込んだ。それを見透かしたように蝶は微笑んだ。
「話をしたら?」
洋介はラグマットの上に正座した。
「仕事を受けます。それを伝えにきました」
蝶はしばらくカップを眺めていた。やがて洋介の目を見つめて言った。
「私にもさいごの風景を作ってください」