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第15回 なんなんだお前は。おれの知らない世界に生きていやがって……!

 女たちは手をつないで帰っていった。

 洋介は神社に残った。ベンチに腰掛けて、ぼんやりと木を見上げたり、地面を眺めたりして物思いに耽っていた。散歩にきたジャージ姿の老人が不審げにじろじろ眺めていた。
 洋介は、境内を後にした。

 山手通りに出た。

 スポーツウェアを着てサングラスをかけた女が坂道を上がっていった。洋介は道端でぼんやりとしていた。今日の仕事のことを思い返していた。

 目の前に、黒塗りのベンツが止まった。洋介は坂道を少し下った。すると、ベンツもゆっくりとついてきた。洋介が坂を上ると、ベンツはバックしてついてきた。もう一度移動しようとすると、軽くクラクションを鳴らされた。
 運転席のドアが開いてサングラスをかけた男が出てきた。ぽちゃっとしていて、こんがりと日焼けしている。日焼けサロンで焼いた色だ。髪の毛がちりちりなんだけど、これはパンチパーマじゃなくて、天然パーマのようだ。赤いポロシャツの襟を立てて、赤いチノパンを穿いていた。
自転車レーンを横切って洋介に近づいてきた。

「なにやってるの?」

 洋介は「あ」と言って表情を曇らせた。高校時代の同級生の尼ヶ崎だった。
 尼ヶ崎はにやにやしながら洋介の腕を軽く叩いた。

「こんなところで会うなんて珍しいじゃん。近所に住んでるの?」

「仕事」

 洋介がぼそっと答えると、尼ヶ崎は「ああ!」って言いながら爆笑した。洋介を指さしながら、まさに腹を抱えていた。そしてその腹がたぽたぽ揺れていた。

「知ってるよ!前世の記憶が見えるんだろ?」

「そんなもの見えないよ」

 洋介が不愉快な顔をしても尼ヶ崎は気にする素振りも見せなかった。「いやいや、またまた」などと言って笑い続けた。

「そうじゃないんだって言ってるだろ!」

 洋介が声を荒げると、尼ヶ崎は「あ、そう?」などと言ってようやく笑うのをやめた。それでも口元がぴくぴくしていた。

「そもそも誰にそんな話を聞いたんだよ」

「そりゃ、マリアしかいないだろ」

「マリアがそんなこと言うわけがない!」

 洋介が噛みつくと、尼ヶ崎は笑った。

「ま、そういう言い方じゃなかったかもしれないけど、聞いた感じだと怪しい仕事だと思ったよ。どんな仕事か忘れたけど」

「そもそも……」

 洋介が言いかけたのを尼ヶ崎は遮った。

「実際、どんな仕事してるの?」

 洋介は渋った。しかし尼ヶ崎はしつこかった。

「いいじゃん。はっきりさせておかないと、悪いイメージのままだぜ?」

 洋介は返事をしなかった。尼ヶ崎は煙草を取り出して火をつけた。洋介が見たこともない煙草だった。ふーっと煙を吐いた。

「それとも怪しい仕事だっていうのは認めるのかな?」

「認めるわけないだろ」

「だったら言ってみろよ」

 洋介はまだ言えなかった。尼ヶ崎は苛立って、「おいおい」と言った。

「胸を張って言えないってことは、そういう仕事をしているってことじゃん? もう四十歳になるってのに、それでいいわけ?」

「……風景だよ」

「風景?」

「人生の最後に戻りたい風景を綺麗にする仕事だよ」

 尼ヶ崎は耳に手を当てて「はーっ?」と言って、爆笑した。洋介は拳を握りしめて尼ヶ崎を睨みつけた。

「だったら、自分はどんな立派な仕事をしているんだよ!」

 尼ヶ崎はサングラスを外して涙を拭った。

「おれ? おれは不動産だよ。高級マンションを売ったり、管理したり。みんなに感謝されてる。仕事ってそういうもんだろ。感謝の証として金をもらうんだ」

 ベンツを指さした。

「おれがああいう車に乗ってるってことは、それだけ感謝されてるってことだよ。高橋はどんな車に乗ってるの?」

 洋介はうつむいた。奥歯を噛みしめた。

「車は、持ってない」

 尼ヶ崎はにやにやしながら腕にはめたロレックスを見せた。

「時計は?」

 洋介の時計はセイコーだった。
「それもいい時計だよ。でもロレックスとは金額が違うよな」

「そんなことよりも、どうして尼ヶ崎はマリアのことを知ってるんだよ」

 尼ヶ崎はきょとんとした顔をした。

「知ってるっていうか、つきあってたんだよ」

 洋介はぽかんと口を開けた。

「なんでだよ?」

 尼ヶ崎は頭を掻いた。だらしない笑みを浮かべた。

「あいつ、坂本とつきあってただろ。昔、たまたまふたりが歩いているのを見かけてお茶したんだよ。その時から気になっててさ。別れるのをずっと待ってたわけ」

「マリアと連絡取ってたってことか?」

「そんなわけないだろ。坂本と、だよ。それで、あいつが別れたから、おれがアタックしたんだ」

「住所とか、武が教えたのか」

「まさか。自分で調べたんだよ。好きな女のことだったらそれくらいやるだろ」

「なんでマリアが尼ヶ崎とつきあうんだよ」

 尼ヶ崎は眉間に皺を寄せた。

「失礼だな、きみは。熱意が伝わったんだろ。最初は気乗りしなかったみたいだけどね」

 洋介が首をかしげると、尼ヶ崎は両腕を広げた。

「本当だってば。ま、別れちゃったけどね」

「どうして別れたんだよ」

 尼ヶ崎は苦笑いを浮かべた。

「きみもズケズケと人の心に踏み込むね」

「言いたくないならいいけど」

 尼ヶ崎は車に戻ると車内の灰皿に煙草を押しつけた。戻ってくると、鼻の頭を掻いた。

「実は子どもができちゃってね。で、別れた」

「マリアは妊娠しているってこと?」

 尼ヶ崎は勢いよく首を横に振った。

「いやいや、ちゃんと堕ろしましたよ。妊娠した女を放り出すなんてことするわけないだろ。費用は全部おれが払ったし、まあ、精神的なケアというか、手切れ金的なものも渡したし。そっちは受け取らなかったけど。めんどくさいことにならなくてよかったよ」

「めんどくさいってなんだよ!」

 洋介が怒鳴ると、尼ヶ崎がなだめた。

「いちいち熱くなるなよ。育児とかめんどくさいし、あなたの子どもよ、なんて言われるのもうざいでしょ。だから、そういう時はすぐ堕ろすことにしてんの。そういうことがあると、つきあい続けるってわけにもいかないから別れたわけ」

「自分の都合だけで生きてて楽しいか?」

 尼ヶ崎は胸に手を当てた。

「見てわかんないかな。楽しいに決まってるだろ?」

 そう言ってから「いや」と首をかしげた。

「そうじゃない。おれがこういう生活ができているのは感謝されているからだ、ってさっき言ったよな。そういう意味では、『おれの都合』は他人に迷惑をかけるのではなく、むしろ喜びを与えているってことになる。だろ?」

「それが勝手な理論だって言ってるんだよ!」

 洋介が大声を出すと、通行人が驚いてこちらを見た。尼ヶ崎は冷静だった。

「あのさ。高橋がロールスロイスでも乗ってたらおれが謝らなきゃならんけどさ。今の時点ではおれのほうが正しいんだよ。わかるだろ。金持ってるやつのほうがたくさん感謝されてるんだからさ。日本ってそういう国だよ。きみが前世占いだったか忘れたけど、そういうのをいくらやってもおれには勝てない。そういうもんだよ」

「前世占いなんかやってない。さいごの風景を作っているんだ」

「お、やっと自分の仕事をスラスラ言えるようになったね。それが大切よ。そうやってプライドを持って仕事に臨んでいれば、いつかベンツくらい買えるようになるから」

「今は金の話をしてるわけじゃないだろ」

 尼ヶ崎は車に戻って、名刺を持ってきた。

「ま、おれもそこそこ忙しくてさ」

 金色のボールペンで名刺の裏になにやら書き込んだ。

「連絡くれよ。ゆっくり話でもしようや」

 差し出された名刺には個人の携帯アドレスと住所が手書きされていた。

「坂本も呼んでもいいけど、マリアのことは言わないでくれよ。色々めんどくさいし。もう終わったことなのに、もめるの嫌じゃん」

 そう言うと、尼ヶ崎は手を振って車に戻っていった。

「おい、話は終わってないぞ!」

 洋介が怒鳴った。尼ヶ崎はドアを開けた。

「だからゆっくり話そうって言ったんだよ。結論の出る話ではないでしょ」

 尼ヶ崎は車に乗り込んだ。軽くクラクションを鳴らして走り去った。

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