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アデル、ブルーは熱い色

レア・セドゥの出世作。

すばらしい演技をしている。ただ、主役のアデルを演じたアデル・エグザルホプロスも素晴らしかった。

高校時代の、あか抜けないアデルが、レア・セドゥ演じるエマに出会ってから、洗練された美人になっていく変化も自然でよかった。

それぞれの女優が、キャラクターを演じるのではなく、キャラクターの人生を生きている。生身の人間がそこにいた。

撮影がどうしようもなく下手で、イライラするが、主演のふたりが素晴らしかったので最後まで観ることができた。

恋愛は、バランスによって成り立っている。そして、愛が終わったあとも、そのバランスは続く。そういうものを絶妙な演技で表現している。ふたりの女優は空気を醸し出すことに成功していた。

性描写が多く、しかも長い。長すぎるのではないかと思ったが、最後に映った絵を見て、その長さが必要だったのだと気がついた。ちらっとしか映らないが、その絵に込められた物語や、想いを理解するためには、長々と性描写をする必要があったのだ。

このように、人間のどろどろした部分を延々と描き続けるというのは、たいしたものだ。感情表現を味わうことができるようになったのは、この映画が素晴らしかったからというのもあるが、小生がある程度年齢を重ねてきたことも影響していると思う。

映画とは、作品の質はもちろん大切だが、観る側にもそれなりに素養が必要なのだ。

知性や教養というものというよりは、人生経験だと思う。こう書くと、小生が人生経験豊富と言っているように思われるかもしれないが、そういう意味ではなくて、自分なりに真剣に生きるということが、アートに触れたときに助けになるということだ。

そして、そういう人間がアートに触れたときに、自分の世界をさらに広げてくれる。これは誰にでもできることだ。ちょっと前にファスト映画の問題が取りざたされていたが、それでは本作は理解できないだろう。たとえば、長大な性描写を、単に女優の体当たり演技とか、性的な興味だけで鑑賞するのではなく、どうしてこんなに尺を取る必要があるのかと疑問を持つことで、最後の絵に気づいて納得する。早送りではわからないことだ。

映画はじっくりと、どこまで深く潜り込めるかというところに面白さがある。

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