河野裕子『紅』(9)
濁り水足で掻きつつ聞きおれば雨夜に笑ふとふ鯰の話 池か沼の端に座ってぬるい水に足をつけている。足で水を掻きまわしつつ相手の話に耳を傾けている。嘘か本当か、雨の夜にこの沼に棲む鯰が笑うというのだ。ほら話のような童話のような、のんびりくつろいだ雰囲気だ。
午後長し子らが居らねば子らのやうに土に円描き跼みてをりぬ 子供たちが出かけてしまうと午後の時間が長い。子供たちがしていたように地面にかがんで円を描いてみる。海外でのたった4人だけの家族。家族がいない時の心細さが、初句切れで強く伝わってくる。
ぽぽぽぽと秋の雲浮き子供らはどこか遠くへ遊びに行けり 初句のオノマトペが特徴的。秋の雲が浮く様子を可愛らしく表現している。その雲のように漂って子供らはどこか遠くへ遊びに行ってしまった。家に取り残され、主体は孤独を感じているのだ。明るさの中にある孤独。
足指のあはひぢりぢり広がりて石負ふ黒人は歩めつ 1980年代のアメリカではこのように人力で石を運んでいたのだろうか。こうした重労働には社会的に厳しい立場に置かれた人々が従事していたものと推測する。河野の観察はとても細かい。まず、石を背負う。
ここからが歌だが、体勢を整えるために、少しの間静止する。その間にその人の足指の間がじりじりと広がっていく。そして身体が石を負うことになじんだら、一歩一歩、歩き始めるのだ。この足指の広がりは、どのような位置から観察したのだろうか。
首のべて鴨らが渡るを見上げつつ四人きりなりこの国に住む 鴨の大群が渡って行くのを、家族4人で首を伸ばして見ているのだろう。鴨は大群だが、こちらは4人だけ。頼るのは家族のこの4人だけだ。結句はこの国、この広いアメリカに住むという意志を述べていると取った。
2023.7.23. Twitterより編集再掲