『塔』2020年7月号(3)

『TSUGUMI』だけ濡れずに済んだ通学の鞄に入れてて私が生きてて 逢坂みずき その本以外の物は全て津波に濡れてしまった、あるいは流されてしまった。通学鞄と作者だけが無事だった。『TSUGUMI』の美しい装丁が目に浮かぶ。「てて」の繰り返しに口語の良さが出ている。

小さければ小さいほどよくふきのとうの天ぷらのような耳にふれたい 荻原伸 ふきのとうは若芽の方がおいしいから小さいほど良い。もちろんその天ぷらも。しかしこの歌を読んでいると、小さいほど良いのは耳のように読めてしまう。ふきのとうのように小さい、くるっとした形の耳。

砂肝を噛めばすべてのにはとりにすこしづつある砂漠の音す 千葉優作 砂肝はコリコリとした食感の楽しい食材だ。しかし、全ての鶏に「すこしづつある砂漠」と言われると、茫漠とした砂漠とどこか非情な鶏の目が思い浮かぶ。人間一人一人の心にも砂漠がある、と言うかのようだ。

ともだちと言ってくれればともだちになれるのだけど 抹茶ソイラテ 亀海夏子 自分は相手と友達になる気があるのだが、相手から言って欲しい。自分だけそう思っているのでは?と不安なのだ。もしかしたら友達よりもっと親しくなりたいのかも知れない。抹茶ソイラテを飲みながら・・・。

さよならだ曇りガラスを粉々に割って降らせる冬の静謐 綾部葉月 初句切れが強い。二三四句は雪の喩と読んだがこの描写も激しい。割って降らせる、のは擬人化された「自然」だろうが、作者自身とも取れる。ガラスを割るほどの強い感情から突然結句の静けさに至る。その落差に惹かれた。

「創造主に貴方もなれる」蛍光のポップ際立つコケリウム前 高山葉月 すごくないですか、この宣伝文句書いた人?買えばたしかにコケリウムの世界を作る人になれるけど、創造主って神の別名。ささやかなコケリウムには大き過ぎる。作者も思わず立ち止まった。カタカナ語が活きた一首。

この世では逢えざりし祖父嘉右衛門の手がけし寺を郷土史に知る 冨田織江 生前逢ったことのない祖父が建てた寺を郷土史で知った。個人的な知り合いが本に載っている時の驚き。嘉右衛門という名前に古い時代を垣間見る。作者はきっとお参りに行ったことだろう。

㉓方舟「思考のプロセス」川本千栄 方舟に寄稿しました。ツイッターで『塔』についてつぶやいたことを、永田淳さんが五月号の「八角堂便り」で取り上げてくれました。それについて感じたことです。お読みいただければ幸いです。

「招集がかかりました」ふはふはりラインの文字の見えづらくなる 瀧本倫子 呼吸器内科に勤める娘から、コロナ病棟への招集がかかったとラインが来る。医療に携わる娘を誇らしく思っていた作者だが、「ふはふはり」と、意識が遠のくほど動揺する。子への愛情がまず第一に出るのだ。

㉕中村英俊「五月号若葉集評」書くじゃなく打つと云うときだけ文字は誰かの窓を叩く雨粒 toron* 〈パソコンのキィというヨコの景から雨打つ窓というタテの景に転じる点も詩的だ。〉私もこの歌に惹かれて評を書いた。聴覚に訴えて来る印象が強かったので、景という把握を新鮮に思った。

2020.7.29.~8.1.Twitter より編集再掲