2022年8月29日の朝日新聞より

「1920s⇔2020s 百年前の世界から 5」

「大量死が生む「黙禱」と一体感」

(真野啓太)〈東京市はこの日、追悼式を催し、1分間の「黙想」を市民に提案した。これが日本の黙禱のはじまりだ、と粟津賢太・上智大学客員研究員は言う。〉「この日」、は関東大震災の一年後。1924年9月1日。

〈東京市で黙想を市民に求めた当時の永田秀次郎市長も、仏式や神式ではない追悼を模索していた。〉そう言えば黙禱っていつから始まったかなんて考えてもみなかった。関東大震災がきっかけ、宗教に関わらない追悼ということで設定された。そしてそれが総動員体制の強化に組み込まれていく。

 戦後。「死者を前に、生き残った『われわれ』という主語が立ち上がる。共同体として死に意味や目的を与えることで死を受容し、災禍からの立ち直りを図ります。」ノートルダム清心女子大学講師の福田雄さんの言葉が引かれている。主語が立ちあがる、という表現にぞわぞわした。興味深い記事だった。

2022.8.29.Twitterより編集再掲