河野裕子『紅』(6)
母国語のゆたかな母音の快さ子は音読す”太郎こほろぎ” 子供の音読する日本語の音にうっとりと聞き入っている主体。日本語は英語に比べ母音が目立つ。英語の子音の鋭い響きは耳に痛く刺さったりする。それゆえ英語の中で生活していると日本語の母音に浸りたくなるのだ。
国力は民族の健啖に比例せるか大陸中華を今更に思ふ/獣脂たぎる鍋を囲みて食ふ見れば長き竹箸あやつり食らふ ボストンの四川料理の店で。獣脂の匂いに食欲を失くす主体達。中国人達は長い箸で獣脂のたぎる鍋を食べている。物を食う力はその人々の底力でもあるのだ。
粗朶燃してこのしづかさよ炎(ひ)の中に透きつつ火を生むいくつもの火見ゆ 美しい歌。炎をじっと見て、炎の中の火の動きを描写する。「生む」は連体形で次の「火」にかかると取った。炎の中で透き通りながら火を生む火が見える。火の燃える音も入れて、辺りは静かだ。
キッチンにも合衆国の地図貼りて先祖から居るやうにこの国に住む 「先祖から居るやうに」とわざわざ言っている辺り、溶け込むのに苦労しているのが偲ばれる。河野が「キッチン」と言うのも妙な響きだ。おそらくカラフルな地図。合衆国の州名に親しもうとしているのだ。
楽しめと誰も書きて来(く)妻子率て留学しをる辛苦を知らず 子が学校に、妻がコミュニティになかなか溶け込めない以上に、夫は仕事で苦労している。母語ではない言葉を操り、研究者として。折角だから楽しんで、などの手紙は無責任なものに思えてしまうのだ。
科学者の客ばかり来るやうになり気楽なれども退屈なり彼ら 夫が科学者であるため、科学者のお客ばかりが来るようになった。科学者ではない主体にとって、彼等との会話は気楽だが、文学の同志と話すような深い話はできない。退屈でもあり孤独でもあるのだろう。
2023.7.20. Twitterより編集再掲