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『塔』2024年8月号(2)

背中から剥がれ落ちたるうろこほどの白きはなびら脱衣所に見ゆ 松本志李 自分の背中に鱗が生えているという前提、そして脱衣所に落ちている花びらを見た時の、鱗が剥がれ落ちたのかという軽い驚き。「ほどの」が効果的。主体の背中の鱗は花びらと見紛うほどに白いのだ。

憐みは蔑みにすぐ変わるから生まれた時にタッパに入れる 則本篤男 上句はよくある感覚かも知れないが、下句が個性的。蔑みに変わらないように、憐みが生まれたらすぐタッパに入れる。そして冷蔵庫に入れ、新鮮なまま保存するのだ。一体いつまでとっておくのだろう。

アイスクリーム渦まくバベルの塔みたい溶け切るまではまだ夏でいて 松浦唯 聖書のバベルの塔の話には爽やかさは一切無いのだが、この歌のバベルの塔は爽やか。夏の終わりの少し溶け始めたバベルの塔。夏は暑くてうんざりだけど、終わってしまうのは寂しいのだ。

くり返し見る一頭のシマウマの夢おとうとのようなまつげの 石田犀 とても不思議な歌。引き込まれる。同じ一頭のシマウマの夢を何度も見る。弟のような睫毛のシマウマ。シマウマのような睫毛の弟。ああシマウマなんだと思いつつ、長くて上向きの睫毛だけが記憶に残る。

カップ麺の容器で川を下りゆく一寸法師をスマホで撮った 西村鴻一 ホントかよ、と突っ込みたくなる。箸が突っ込まれたままのカップ麺容器が上を向いたまま流れてきたらそこに一寸法師がいても不思議は無い。主体はシャッターチャンスを上手くモノにできただろうか。

興味のない曲も晴れてる祝日のはなうたで聞くならまあいいか 鈴木ベルキ 興味の無い曲をずっと聞くのは苦痛だ。音量が大きいと特に。考え事もできない。でも晴れてる祝日のゆったりした気分の時に、親しい人の鼻歌で聞くならいい。独り言風の結句が雰囲気に合っている。

穂の先のぐにやり曲がれる枯れ芒信じたきことをひとは信ずる 俵山友里 真っ直ぐ伸びている印象の芒だが、「ぐにやり」曲がっているとどこか歪んだイメージだ。信じたいことだけを信じて都合の悪いことは見ない人。人は誰も他から見ればそうなのかもしれない。

瀬戸内とふ呼び名もあらぬ混沌のJAPANに革のくつは降り来て 岡部かずみ 一枚の絵ハガキから調べて、明治政府お雇いの、日本に多くの灯台を建てた外国人技師について詠った一連。とても雰囲気がある。明治のレトロ建築好きとしては一首一首かみしめるように楽しんだ。

ひとに言える悩みはたいしたことないと詠んだ歌人はだれであったか 永田愛 歌以外でも言われている事と思う。人に言えるようになったら、言えなくても自分の中で言語化できるようになったら、悩みは軽減しているかもしれない。言葉にするために歌が役立ってほしい。

我が為に我が給料で買うお酒 私、生きたいように生きるよ 山河初實 うんうん。身も蓋も無いがお金の使い方は人生で大事だ。自分の時間と心を削って得た給料だから自分の欲しい物を買って、生きたいように生きよう。宣言するというのは今まで我慢してきたということだ。

⑰篠野京「6月号月集評」彫る者は愛した彫られる者たちを 天平の空は沈むほど青 川本千栄〈興福寺を訪れての作。阿修羅像が有名だが、あの美少年風の面立ちを見ると、上の句も頷ける。〉一首引いて評をいただきました。ありがとうございます!!

2024.9.18.~19. Twitterより編集再掲

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