Far away from home...
高松駅を出発した寝台特急は、ガタンゴトンと小気味良いリズムを刻みながら、瀬戸大橋を駆け抜けていく。
瀬戸内海は黒々と輝き、海面はまるで枯山水のように線を描く。あれ、そもそも枯山水は水を用いずに水を表現するものなんだから、順番が逆か。私は何を言っているんだか。流れていく車窓に視界を任せ、独り、缶チューハイをカシュッと開けた。
四国に散りばめられた煌めきが遠ざかる分、本州の街明かりが近づいてくる。それは旅の終わりとの、そして日常との距離がどんどん狭まっていることも意味している。
その一抹の寂しさを、私はレモンサワーに溶かして呑み干した。心地よい疲れが染み込んだ体、これをアルコールで塗りつぶしながら、この旅をゆっくりと振り返ってみる。
気温30度を超える暑さが残る、8月の終わり。日本で唯一定期運行されている寝台特急『サンライズ瀬戸』に乗り、私はたった一人で埼玉から香川へと赴いた。
直線距離にして約500km、サンライズ瀬戸の運行距離にして約800km。サンライズ瀬戸の乗車時間にして約9時間半。西日本にやってきたのは中学・高校の修学旅行以来。こんな遠くへ一人旅をするなど、初めてだった。
何故、一人を選んで旅をしたのか。それは“亡くなった母の手記に書かれていた「幸福の原風景」に触れるため”だ。
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4年前に亡くなった母は、真夏の香川に生まれ、広島で育った。そしてまだ幼い頃、父(私にとっての祖父)の都合で長野へと引っ越してきたらしい。
それ以来亡くなるまで母はずっと長野にいたから、東で過ごした時間はとうの昔に西で過ごした時間を超えていたはずだ。
それでも母には西のルーツが残りつづけていた。たとえばマクドナルドを「マック」ではなく「マクド」と略したし、正月に食べるお雑煮は、すまし汁仕立てではなく味噌仕立てだった。
この世界に母が遺した、ほんの数篇の手記。そこにはさまざまな悩みや苦しみ、いくつかの想い出が書かれていた。それでも具体的に記された場所は、たった一か所。
その場所は、香川県にあるお寺「善通寺」。まだ年齢も一桁であろう母は、じりじりと太陽が照りつける中、ここで自身の兄と追いかけっこをしたようだ。
「おにいちゃん、まって。」
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善通寺とは、弘法大師空海が誕生した地であるらしい。木造の立派な門をくぐって境内に入ると、広々とした白い砂地の中に、ご本尊のある金堂と五重塔が配置されていた。
焼けつくような陽射しと、静寂の空気。風だけは少し涼しい。金堂に足を踏み入れ、ご本尊である薬師如来坐像を見上げてみる。
幼かった母は、この白い砂を踏みながら兄妹で遊んだのだろうか?
両親の見様見真似で、この薬師如来坐像に拝んだりしたのだろうか?
母の母(私にとっての祖母)は、母が20歳ぐらいのときに亡くなったそうだ。パートナーの都合で遠い東へ移らなければならなかった祖母。知り合いもいなかったようだし、文化の違いだってあったはずだ。母の手記には、その寂しさに苦しむ背中と、悲しい最期だけが書かれている。
母がいた苦悩の世界を思う。祖父に呪詛を遺して亡くなった祖母。優秀な兄と比べられて傷ついていた学生時代。祖父の認知症と介護。ワンオペで私を育てていた日々。兄の奔放さには、どれだけ歳を重ねても振り回されつづけていた。
手記に遺された「善通寺での想い出」はきっと、そういった苦悩が始まる前、母が何も深く考えず幸せであれた瞬間なのだろうと思う。
目を閉じて手を合わせると、不意に涙がこぼれた。
この場所に自分がいるのはまるで必然であり、導きであるかのように思えた。
旅の道中にお酒も持ち込めるのは大人の特権だ。
アルコールに強いわけではないから、いつもだいたい度数3%程度のチューハイを選ぶ。しかし帰り道用に買ったチューハイは5%。ちょっと調子に乗った。たった2%の違いはこんなにも大きいもんかな。熱くなった頬をつねる。
本州に渡った上りの寝台特急は、車窓に夜の田園風景を映している。
香川は初めてだったけれど、あまり初めての感じがしなかったなと思う。
夏の太陽に濃い緑を揺らす田園。オキシダントによる濁りのない、澄み切った青い空。これでもかってほどもっくもくの白い入道雲。
香川で見た風景は、私が幼い頃に長野で見ていた風景とよく似ていた。違いといえば、海があるかないか、そのぐらいだろう。そんな香川の風景に懐かしさを感じたのは、私の青い記憶によるものか、それとも。
日の出の時間まで寝ようと、寝台に横たわる。
この寝台特急はまくらが固くて高い。車体の揺れよりむしろそのせいであまり良く眠れないから、きっと日の出前には自然に起きてしまうだろうけれど。疲れた体にアルコールが回っているから、一応、スマホでアラームを設定した。
綺麗な朝焼けを見たら、7時には東京駅に着く。そうしたらまた、私の日常は動き出す。朝ごはんは東京駅のマクドで済ませて、家に帰ったらまずは洗濯をしよう。
たとえいつもどおりの日々に戻っても、私は不可逆の人生を駆けていて、「母の原風景、その一部に触れた私」はもう二度と消えることがない。いまだ愛別離苦を切り離せないこの私も、その意味ですでに新しい自分だった。
どうしようもなく苦しくなったら、またこの寝台特急に乗って、缶チューハイをカシュッと開けて、乾杯しよう。ただあなたが今、原風景の中で穏やかにあるよう祈って。献杯とはあえて言わずに。
良いんですか?ではありがたく頂戴いたします。