私の病室には椿を飾って
椿は、桜のように花びら一枚一枚が風に舞って散っていく花ではない。命を終えるときには、その首ごと、ぽとりと土に落ちる。
昔の誰かはその姿を「不吉だ」と忌んだらしく、現代でも、お見舞いや退院祝いにおいて、椿を選んではならないとされている。
椿が好きだ。
椿が最盛期を迎えるのは、だいたい一月から二月。多くの植物が眠る真冬。景色が色褪せてみえるその季節に、椿は咲き誇る。真っ赤な椿に真っ白な雪が重なる光景は、形容しがたい美しさだ。
寒空の下に赤を燃やす、その命は力強い。
椿が好きだ。
あたたかい風が吹いて、桜がその蕾を開き出す。その春色の美しさに浮かれて、人々はこぞって酒を飲む。桜はその散り際まで愛でられる。椿はそんな人々の足元に落ちていて、汚れていて、そして誰からも見向きもされない。
春、それは足元の死に誰も気づかない、そんな美しい季節。自らが自らのまま死んでいく、その絶望を映すかのような椿の散り様こそ、私の心にはしっくり来る。
椿が咲き乱れる季節、一月。母は凍てつく空気のなかで亡くなった。その日の夜は、ニュースで大々的に報じられるほどの猛吹雪になった。
白雪のなかでその赤い命を燃やし、春を見る前に散っていった。それは、花びらがふわりと風に踊る、そんな柔らかな死ではない。
故郷に椿は咲いていない。
代わりに、今住んでいる場所ではよくみかける。そのたびに好きになっていって、椿について詳しく調べるようになった。調べれば調べるほど、母みたいだな、と思った。
母と大人になった私のツーショット写真がない。あるのは幼い頃に撮ったらしい、古くて小さなプリクラだけ。
「また二人で鎌倉パスタに行こう」、大人になった私が母と交わしたその約束は、結局果たせないまま。
母の好きな花はなんだったのだろうか。知らないままだと気づいたとき、母はもうこの世界にいなかった。
椿の花言葉は「控えめな優しさ」「誇り」。控えめな、という言葉は、椿にあまり香りがないことに由来するらしい。
母は、飾らない人だった。外見も、ブランドにこだわったりすることもなく、無理に若作りするようなこともしない。中身も、嘘をつくのは苦手で、良くも悪くも自分の思いをストレートに言う人だった。
母はその「ストレートさ」に悩み、苦しんでいるようだった。あらゆる人間関係のなかで、怒りを露わにしてしまう瞬間があって、そのたびに後悔しては泣いていた。
でも私は、そんな母が大好きだ。
私を「親の成果物」としてではなく、純粋に“私という人間”としてみつめてくれた。私の意思で決めていく人生であるようにと、願ってくれていた。私の意思ならばなんだって応援するよと、微笑んでくれていた。
飾り気のない純粋な優しさ、あたたかくて控えめなまなざしは。「この人は絶対に味方でいてくれる」、そんな圧倒的信頼として、私の心に根を張った。今ですら、その根は枯れることがない。
実家は、大学の学費を支払ってくれた直後、つまり五月と十一月は、一年のなかでも特に生活が苦しかった。私の誕生日はその十一月だ。
世間の多くの女性は、二十歳の誕生日にブランド物の財布やカバンをもらっているのだろうか。テレビでそういった類のインタビュー映像をみると吐きそうになってしまう。
「ブランド物なんて興味ない。」二十歳間近の頃に言ったそれは、嘘。本当のことを言うと、私だって二十歳の誕生日は、そういうものが欲しかった。
ケイトスペードの真っ赤な長財布を、自力でアルバイト代を貯めて買った。でも、ちょっと使ったら満足して、そしてなんだか虚しくなって、今は使っていない。
学費を払ってもらっている身だというのに、わがままが過ぎる。
それでも、「母の手作りテディベア」がまったく嬉しくなかったわけではなかった。
「お金がなくて、こんなものしかプレゼントできなくて、ごめんね。」申しわけなさそうに渡された、カラフルなパッチワークのテディベア。その背中には、「Happy Birthday」と母の字で書かれている。
私は今も、一人で暮らしているこの部屋に、そのテディベアを飾っている。
写真を整理していたら、母が亡くなる半年前、家族でディズニーランドに行ったときの写真が出てきた。そのなかには、私が私のカメラで撮った母がいた。
裏ピースして、アヒル口。おちゃらけている(ポーズがちょっと古いけど)。ディズニーツムツム柄の半袖Tシャツを着ていて、相当に楽しんでいることが伝わってくる。
私が母を撮ったのは、このたった一枚だけだ。
あの眩しい笑顔をもう一度みたい。あの豪快な笑い声をもう一度聴きたい。あの優しいまなざしにもう一度触れたい。母の前だけでしか現れない、心を全開にしてくつろぐ私に、もう一度なりたい。
もう一度だけでいいから、会いたい。
唐突に想いが溢れ出して、眠れなくなる。そんな夜は、母が亡くなって四年経った今でも訪れる。それはとてもとても苦しい夜だ。でも、そういう夜がないと、むしろ私は私を保てない。
この心の奥に降り積もった万年雪は圧縮されて、解けない氷河をつくった。その氷河を船にして、私は何度でも、この冷たい海を漂流する。
もしも私の死が、突然の心臓発作や自死ではなく、病室や終末医療施設のような場所でゆっくりと迎えるものであるならば。私の傍らには、椿を飾ってほしい。マナーの上では「タブー」であっても、そんなことはどうだっていいから。
私はその椿をみつめながら、自分は自分でしかない絶望――母の分まで生きるなどということは、そもそもできるはずがないこと――を確かめる。そしてそれを「自分は自分として生きたのだ」という希望にしたい。
そうすれば、きっと私は安らかに旅立てる。
そのときようやく、氷河は完全に解けるだろう。水位の上がったその大海を独りで渡る。その先で降り立った大地に、道はのびている。そこには椿が咲き乱れているにちがいない。雪は降り積もっているだろうか?
その美しい赤を目印にすれば、私は迷わず母に会いに行ける。
だからその日まで、私はひたすらに生きていこう。
地に落ちて土にまみれて見向きもされず、そんな瞬間があったって構わない。母はきっと見守ってくれているから。冷たい海を漕ぎ渡る夜が、これからもたくさんあると思う。そういうときは、気の済むまで涙に暮れよう。
Red Camellia(赤い椿)の花言葉は、
You’re a flame in my heart.
「あなたはこの胸のなかで、炎のように輝く」
良いんですか?ではありがたく頂戴いたします。