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抗えぬ変化の波に乗れ

六年。それだけの月日があれば、何も変わらずにいられるほうが珍しいだろう。

居酒屋の厨房でアルバイトをしている。この店はオープンから六年が経ち、つまりオープニングスタッフとして入社した私も勤続六年。このコロナ禍で周辺の飲食店がのきなみ閉店していく中でも、今の今までなんとか命を繋いできた。

だが、六年の歳月が流れれば、変わらずにいられることのほうが少ないものだ。この店は、近いうちに別のオーナーへ売り渡されると決まったらしい。

閉店するわけではないし、基本的にアルバイトの雇用は継続される方針のようだ。だが、この店を所有する会社が変わるわけだから、社員はいなくなる――つまり店長はいなくなってしまう。

店長は私よりひとつ年上で、20代前半にして店長に就任した。

「もっとちゃんとしろよぉ~」とムカつく瞬間はたくさんあったし、この人の酒癖の悪さが原因でこちらが痛い目を見たことも一度や二度ではない。

だが一方で気前がいいし、仕事で何かやらかしても笑い飛ばしてくれるし、しんどいときには励ましてくれるし。総じてとても良い店長だった、と思う。

円満退社したスタッフがお客さんとして飲みに来ることは珍しくなかったし、「就職をきっかけに辞めた子が初任給で店長にお酒をおごった」なんてエピソードもある。彼はそのぐらい慕われる人だ。

今働いている人たちから聞いた限りでは、「店長が変わるなら辞める」と即断するスタッフが多いようである。

かくいう私も、辞める方向で動き出している。

目の前に避けられない変化。

変化とはストレスである。何かが変わるとき、そこには常に不安や恐怖がつきまとう。その変化に慣れるために費やす労力も、当然大きくなる。

六年働いてきた場所。現店長に認められた自分なりのやり方ができあがっている私。もし辞めずに勤めつづけるとしても、そのやり方が新店長の考えにそぐわなければ変えなければならない。そもそも、本当に今のまま何もかもがつづいていくとも思えない。店についてのあらゆる決定を握る上層部がまるきり入れ替わってしまうとは、そういうことだろう。

だとすればいっそ、ここを現店長と一緒に辞めて、新天地に赴き、私自身がイチから順応していくほうがまだ良いんじゃないか。そっちのストレスのほうがまだ受け入れやすいんじゃないか。

コロナの影など微塵もなかった頃から飲食店の経営を手がけてきた現オーナーは、どうやら経営の才がかなりあるようだ。コロナ禍に突入してからそれを強く感じている(運が良いだけの可能性もあるけれど)。

たとえば、飲食店に対する営業規制がかなり厳しくなる直前にいくつか飲食店を手放し、その後それらの店に閑古鳥が鳴くようになったり。テイクアウト専門店の経営に一枚噛んだかと思えば、まだ売上があるうちにすぐほかのオーナーへ売り渡したり。ほかにもいろいろ。

そんな現オーナーがこの店を売り渡すと決めたならば、この居酒屋はいわば「泥舟」なのではないか?そんな疑念が湧きおこって来る。

実際問題、コロナ禍にあってもこの店を支えてくれたのは常連さんたちである。何より、その常連さんたちはみな現店長のファンと言っていい。「お酒も料理も美味しいのはもちろんだけど、何より店長が好き」といった人がほとんどだ、と思う。

また、この居酒屋は値段設定が高めなので、集まるお客さんも年齢層が高く、それなりに地位を持っている人が多い。だから「20代で店長をやっているこの若者を応援したい」というきもちも大いにある気がする。

そう考えると、現店長よりけっこう年上の見知らぬ人が新店長の座についたとき、最終的にこの店に残る常連さんはどのくらいいるのだろうか?

コロナ禍はいまだつづいている。常連さんを失ったらどうなるかは、火を見るよりも明らかじゃないか。

現店長は上司なわけだが、年が近いせいもあって、背中を預けあった戦友みたいな感覚が実はある。失礼な物言いかもしれないけど。修羅場をともにくぐり抜けると絆が深まる、みたいなやつ。

ともにひどい目にあったことが何度もある。

シフトに入っていた七人のうち三人が突然当日欠勤し、代わりも見つからず、常時四人は必要な厨房に店長と私しかいない、とか。そういう日に限って大口のコース予約が入っていたり、一気にたくさんのお客さんが入ってきて一瞬で満席になって一気にオーダーが入ってくる地獄の日だったり。

冷蔵庫はすっからかんになるし、洗い物はあふれかえるし。お皿がないから、やたらデカイ皿にソーセージ串一本だけ乗せてええい出してまえ!みたいな状況にもなった。

幸いこの店はオープンキッチンで、客席から厨房が見える。だからお客さんも厨房内で走り回る私たちを見て「あれ?なんか圧倒的人手不足っぽくね?」と察してくれたものだ。

私も店長も、こういうどうしようもない状況になると逆にハイになる質だったもんだから、めちゃくちゃしんどいのにずっと笑っていた気がする。

というか、店長が「とりあえず声出しとけばお客さんも許してくれるっしょ!!!!!」ってな感じでギアを上げまくっていたから、私も釣られた。まぁ、助けられた、とも言えるけど。

ここに来るまで一年以上同じ仕事をつづけられたことが一度もなかった。でも、この店は六年つづいた。その理由は数あれど、「この人が店長だったから」というのは大いにある。

私の母が亡くなった半年後、失意の中でどうにか立ち上がり、初めて就いた職がこの居酒屋だった。

パートのおばちゃんと揉めに揉めたこともあるし、人生で五本の指に入るレベルで嫌いな人間にも出逢ったし。セクハラジジイの相手をしなければならない日も、人手不足がすぎて死にかけた日も、上司にムカついてキレた日もある。

決して良いことばかりじゃない日々の中、私は、世界から自分だけが切り離されたかのような感覚を和らげ、自分を社会に再接続した。そしてお客さんや従業員などたくさんの他者を観察し、その観察結果を使って自分を客観的に見つめ、母の死によって粉々になった「私」を再構築してきた。

この居酒屋で働いてきた六年は、母の死に傷ついた私が回復していく過程そのものだったのだ。

この場所で働き始めた頃の私と、今の私。比べたらきっとまったくちがう人間である。最近ようやくそんな自覚が生まれた。そして、過去をひとつずつ振り返って慈しむだけじゃなくて、その過去たちを現在さらに未来の自分のために使いたい。そういうふうに思えるようになった。

そう、母が死んだあの日から始まった受容と回復の過程に「一区切り」を感じていた。

そんな折に飛び込んだのが、ずっと働いてきた場所に訪れる大きな変化の予告と、つづけるか辞めるかの二者択一。

私はこれまで何かを選ぶとき、最後はいつも直感に従ってきた人間だ。その直感が「辞めるのがベスト」と私に呼びかけつづけている。一区切り、精算、リスタート――きっと、そういう時期がついに来たのだ。

別れはいつまでたっても慣れなくて、寂しいし。一ヶ月後、私がどこで何をしているかもわからない。

だけど、生きてさえいれば選択肢はいくらでもあるのだと、私は知っている。


  

良いんですか?ではありがたく頂戴いたします。