見出し画像

幸福への恐怖(それでも生きる)

具合が悪くて寝込んでいるうちに、季節はどんどん加速していたようだ。眠気を誘う陽気に、鼻がムズムズとしてくしゃみが出る。そういえば目がかゆいな。春は好きだが、花粉はつらい。

この二週間で三回発熱した。一回目は微熱、二回目が高熱、三回目は微熱。病院に行ったけれど、コロナでもインフルエンザでもないとわかっただけで、いまだ検査中の身である。

「発熱外来」というものを初めて経験した。私が行ったのは小さな個人病院だった。事前に予約して、当日病院の駐車場に着いたらまず電話をする。すると窓が開き、ビニール手袋をした受付の人がビニール袋の中に保険証を入れるように言う。そして外に置かれた椅子に座って待つ。問診も検査も支払いもすべて、患者が外にいるままで完結される。

その日も春の兆しを感じるあたたかい日で、ダウンジャケットの中が少し汗ばむくらいぽかぽかしていた。まるでこの世界で太陽だけが味方かのようだった。

発熱外来に行くきっかけになったのは、二度目の高熱である。39.2度まで上がった。こんな高熱、新型コロナなんて現れるずっと前にインフルエンザにかかったとき以来だ。体が動かなくて、頭がめちゃくちゃに痛くて、水分補給すらままならなかった。

こういうときだけは、一人暮らしがつらいものと思えてしまう。

解熱剤を飲んでしばらくした頃、ふと、枕元で亡くなった母が膝をついてこちらの様子をうかがっている気がした。

それはたとえば「迎えが来た」なんて不吉なものではない。子どもの頃の私が熱を出したときと同じように、ただ心配そうな顔をしてそこにいる、そして肩まで布団をかけてくれる、そんな感覚。

だが、「そうじゃなくて、迎えに来てよ」と思わなかったわけではない。十年前に比べたら頻度が減ったとはいえ、まだそういう思考に陥るときはある。

つい最近気づいたことがある。他者と心の距離が近づいた実感を得たとき、私はいつも「怖い」と感じているらしいのだ。

おいしいものを食べるとか、行きたい場所に行くとか、そういう幸せは躊躇なく手に入れられるのに。「他者とのつながり」になると途端に怖くなって、人間関係そのものを手放したくなってしまう。手放す理由はなんだっていい。ほんのちょっとの欠点を大きく取りあげてみたり、これ以上の希望はないと決めつけ、諦めようとしてみたり。

手を伸ばしてつかみとれば少しでも幸せを抱きとめられるとわかっていて、でもそれが恐ろしい。それ自体が私には許されていないとでもいうかのように、神経が震える。幸福への恐怖。初めて自覚できたこれは、まちがいなく、私が乗り越えるか打ち壊すかするべき壁だ。

この壁は、「私にはあなたと手を結ぶほど価値がある人間ではない」という自己暗示、低い自己肯定感に由来するものだと思う。あとは、「私は母が自死を選ばない理由になれなかった」という悲しみが、自分自身から幸福への許可を取り上げているのかもしれない。

三回目の発熱の後、同じ病院で血液検査をした。「細菌感染があるかどうか見るために血液検査する?」と問われ、「お願いします」と答えた直後、あぁやってしまった、と思った。

私の腕の血管は、今まで幾多の看護師さんを苦しめてきた、“何をしても見えない血管”である。そのことをすっかり忘れていたのだ。

子どもの頃、学校で年一回血液検査があった。四、五人ぐらいの看護師さんが地元の病院からやってきて、生徒たちの採血をする。この日は、注射嫌いがゆえに泣き出す子がいたり、「怖いの?」「怖くねぇよ!」なんて揶揄しあう子たちがいたりする。

そんな中で、私はいつからか「絶対に一回は失敗される」とはなから諦めるようになっていた。

私の腕の血管は驚くほど見えない。自分が採血される番になっても「ちょっと腕をあたためてきてもらえる?」と後回しにされる。でも、私は誰よりも知っていた。この腕の血管はいくらあたためようと出てきてはくれない。春の足音に誘われて頭を出すつくしのようにはいかないのだ。

そうしてたいがい一回は失敗される。まだ若い看護師さんに「ごめんなさい、私には無理です」と断念されたこともあるし、なんなら両腕ともに失敗されたこともある。あのときは保健室の後ろでひとり、右手で左腕の採血跡を押さえて左手で右腕の採血跡を押さえていたから、まるでこれからコサックダンスでも踊られるんですか?みたいな姿勢になっていた。

…と、そんなことを思い出す暇もなく、この病院の看護師さんは一瞬一発で採血を終えた。ちょっとこの腕をこすり、ちょっと指先で血管の位置を探るような動きを見せただけである。世の中にはたま~にいるのだ、こういう達人と呼ぶべき看護師さんが。

悲しみを生きるとは、朽ちることのない希望を見出そうとする旅の異名なのではないだろうか。

『悲しみの秘儀』若松英輔

本当に「迎えに来て」ほしいのならば、本当に何もかもに絶望しているのならば、体調が悪いのはむしろ僥倖ではないか。放っておいたらこの身を滅ぼしてくれるかもしれない。

だから、病院に行って検査をしてもらう、この体調不良の原因を探る、そんな行いは生きる意志そのものじゃないのか。

職場に持っていきたいと小さな野菜ジュースを箱買いしたのだって、まだ読んでいない本が家にたくさんあるのだって、ゲームの追加コンテンツを楽しみに待つのだって。日常的でありながらすべてが生きる意志の現れだ。

何年か前までは、春が来ること自体が怖かった。真冬に亡くなった母を真っ白な世界に置き去りにして、自分だけがあたたかく色づく季節を重ねていく、そんな感覚があって怖かった。でも、それもいつしかなくなっていた。

だから、今あるつながりをひとつずつ抱きとめながら、生きて、いつか私はこの壁をどうにかできるだろう。自覚は解決への第一歩だ。戦うべき相手をまず正しく認識しなければ、観察も対策もできない。

体調を崩してずっと寝込んでいた二月末。「大丈夫?」と心配して連絡をくれる人がいた。急激にあたたかさを増した三月頭。私が作ったカレンダーを買ってくれた人が、「カレンダーめくったよ」と報告をくれた。

こういうつながりを無闇に手放さないように。
手放すことが可能なら、受け止めることもまたできるはずだ。





 

良いんですか?ではありがたく頂戴いたします。