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風景という息継ぎ

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風景写真と短いエッセイ。毎月末に更新。日々の息抜きにどうぞ。
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#今月の振り返り

【写真】重力から解き放たれるまでの散歩道

「まだ暑いまだ暑い」と喚いていた日々、秋は突如として眠る私たちの前に姿を現す。そうしたら、その肌寒さに目覚めた私たちは「急すぎるだろう、風邪をひくじゃないか」と文句を言った。 だから秋は怒って背を向けてしまった。自分を求めたのはあんたたちじゃないかと眉間にしわを寄せる秋を、帰り際の夏がまぁまぁと必死になだめる。ほんのりと涼やかな雨は秋の歌ではなく、そんな夏の冷や汗かもしれない。 世界の隅っこでうずくまる秋に、夏がキンキンに冷えたサイダーを手渡す。秋はむくれたまま、黙ってそ

【写真】私たちは世界を解釈しつづける

この世界に生きているのに、今ここにいない。 そんな感覚の中で眠りを繰り返す。 ここ一か月、ずっとうっすら調子が悪い日々を過ごしていた。 休日もろくに起き上がれず、近所のコンビニにすら足が向かず。数日間引きこもっては働きに行く。身体の中にある、季節の変化を敏感に感じ取っていたプログラムがうまく動いてくれなかった。ここ最近の花々の移ろいも、新緑の深まりも、記憶の中に残されていない。 世界そのものと、私たちの目に映る世界は完全なるイコールではない。 脳が視覚から得た情報を扱

この命は神も意図しない挙動をしている

通りすがりの死神が足を止め、満開の桜に見入っていた。おもむろにスマホを取り出し、静かに写真を撮る。満足げな表情を浮かべた死神は、再び歩き出した。遠ざかっていく背中に花びらが舞い散る。大層な儀式も明確な終了宣言もなく、こうして春は終わる。 案外あっけないものだ。 たぶん、自分の命の終わりもそんなものだろう。 民家の庭に生を受けた柑橘の木から大きな実がひとつ落ちて、アスファルトの上で割れていた。ゆずだろうか。 そのすぐそばで、まだ新しくどこかこなれないスーツを着た死神が悲

救いも呪いもすべてはこの身体の中

◇ 雨の日は命が重い。 こんなときは、この命に住まう天使と獣の存在を強く感じる。天使はふとんから出られず、獣はいつにも増してグルグルと唸り、ぐるぐると歩き回っている。 私はふとんを天使の肩まで覆うようにかけなおす。獣にはおいしいものを分け与え、全部低気圧のせいだからしょうがないよ、となだめる。獣が落ち着いたらふとんを持ち上げ、天使の隣へいざなった。天使と獣のあいだにもちもちしたぬいぐるみを置く。二人が眠ったら、私はようやく生活に戻る。 生まれたときにはすでに持たさ

己という運命の女神に刃を向ける

◇ もしも自分が世界を滅ぼす運命を課せられた存在だったとして、そのとき私は、その運命が描く地図通りに歩みを進めるだろうか。それとも、運命に抗うために、必要とあらば神にすら刃を向けるだろうか。 運命に抗おうと思えるほど、生への強い執着はない。 少なくとも今現在の自分には。 「人生の運命図は、誰もが生まれる前にすでに描き終えているのです。その運命図を変えることができるのは限られた場合のみ。たとえば一つ目は、家族など自分にとって大きな存在を失ったとき――・・・」 昔、Y