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【日記】網膜剥離の顛末

6月12日に網膜剥離で緊急入院して手術を行いました。その顛末です。
長文ですが興味があればお読みください。

疑念

数年前に検診で眼圧の高さが引っかかり、その後視野検査などの結果緑内障の診断が下りました。
診断したのは(当時)近所にあった眼科で、その後引っ越して遠くなってしまったものの、3カ月に1回の眼圧測定と半年に1回の視野検査のためにその眼科に通っていました。

そんななか、5月くらいから自覚症状として飛蚊症が気になり始めました。目の前を黒いものが横切る現象です。それまでも目の中で透明なものが見えることはありましたが、黒く大きいものが多くなったことで気になっていました。
ネットを調べると、「網膜剥離の可能性があるため早めに受診を」とあります。
ちょうど6月8日が視野検査の日だったので、その時に先生に聞いてみることにしました。

眼科に行って最初に眼圧を測ります。特に数値的には変わりなし。
その後視力も見ますが、こちらもそれほど変わりなし。
しかし視野検査の結果が悪化していました。

先生に飛蚊症の件を話すと、瞳孔を開く目薬をさして、その後目の様子を観察してもらいました。
その時点では特に異常は見つからず、「近視の人は飛蚊症が出ることがある」ということでした。
その日は視野の欠損が拡大しているということで、眼圧を下げる目薬の量が多めに処方されました。

その翌日くらいから自分でも視野の欠損が気になり始めました。
緑内障が急激に悪化しているのか?それはそれで不安でしたが、週明けになると明らかに左目の視野の右下が黒く欠けている自覚症状が出るようになりました。
それでも11日の日にはイベントの取材をしていたわけですが、カメラを除くとファインダーも左下が欠けた状態で、ああこれは完全におかしいと思うようになりました。

視野欠損のイメージ。自分の場合は右下が黒くなりました(日本眼科学会ウェブサイトより)

発覚

翌日午前中、いつもいく眼科(今となっては家からそれなりに遠いのですが)が休診のため、自宅からもっとも近い総合病院の眼科の診察を受けました。
総合病院なので紹介状なしだと初診時特定療養費が7,700円かかるのですが、背に腹は代えられないので。
病院はたいそう混んでいて、眼科の受付でも数時間は待たされますよ、と言われました。
最初に色々な検査をされました。
視力検査もしたのですが、8日には見えていた左目の視力が大幅に低下していました。これは自分でも驚きました。矯正視力でも0.2くらいしか見えない。
その後も眼底を調べたりさまざまな検査をします。
そして検査終了後に待合室で待機していると、混んでいるなか、多くの患者をすっ飛ばす形で先生に呼ばれて診察になりました。

先生は顔を見るなり「網膜剥離です。すぐに手術が必要ですが、この病院には施設がないので紹介状を書きますから」と有名な大学病院に直ちに向かうように言われました。手術をしないとこのままでは失明、と聞いて青ざめました。当然入院も要するとも言われました。
そのまま会計を済ませ電車を乗り継ぎ、最後はタクシーを利用して大学病院へ。

緊急入院

そこは大きな病院で、眼科だけでワンフロア。午後なのにものすごい数の患者さんが待っていました。
診察室や検査室がたくさんあり、そのまま複数の検査を受け、診察に呼ばれます。
「このまま入院して手術を受けてください。すぐに入院の案内をします」
ということで、何の準備も(物質的にも心理的にも)できていないまま入院となりました。
網膜剥離としては重症の部類のようでした。剥離が黄斑と呼ばれるものを見る中心部分まで進行しており、左目を完全に元の状態に戻すことは難しいこと、それでも両目を使って日常生活ができるように戻すことを目指すことを宣告されました。

眼球の立体構造図(日本眼科学会ウェブサイトより)

その後手術に備えて血液検査やレントゲン、心電図などの追加検査を行い、病室に案内されました。
眼科専門の病棟で、自分が知る病院としてはたぶん最高レベルにきれいで設備も整っていました。
手術は翌日に決まりました。
夕食を食べてその日はゆっくり休みます。着の身着のままの緊急入院なので着替えも持っておらず、レンタルを申し込んだのですが、当日は間に合わず、手術着を着て休むことになりました。
その他必要な最低限のものは病院の売店(ローソンでした)で揃えました。

手術前の昼食

硝子体手術

翌日は朝から目を開く薬を30分ごとに差し続けます。
手術に呼ばれたのは午後、3時頃でした。車いすで手術室へ連れて行かれます、長い道のりに感じました。
手術室の椅子に移され、そこからは手術する左目だけを開けた状態で顔を覆われます。
怖いけど身を任せるしかない。自分がヘタレだということがあらためてわかりました。

目は麻酔しますが、意識はそのままあるので(歯医者と同じイメージです)、先生の指示に従って目を動かしたり、動かないでと言われたり。
手術は硝子体手術と呼ばれる方法でした(併せて白内障の手術もしました)。
目の中に細い手術器具を入れ、網膜を元通りに貼りつけていくイメージでしょうか(受けている方はわかりません)。
レーザーを使うらしいですが、最後の方で網膜を押し付けたり縫ったりしている時は麻酔があるはずなのにかなりの痛みで思わず声が出ました。
それでも何とか手術は無事に終わり、迎えの車いすに乗せられて病室に戻りました。
手術は2時間ちょっとかかり、部屋に戻ったのは夕方5時半頃でした。
少し時間をおいて夕食が提供されましたが、さすがに食欲がなくあまり食べられませんでした。

手術後の夕食

うつ伏せ

実は大変だったのはここからで、最終的に目の中にガスを入れて与圧することで網膜を押さえるのですが、ガスの比重が低いことからうつ伏せの姿勢でいることが重要になります。
寝るときもうつ伏せ。
腰や肘などさまざまな部位が痛くなるのですが、それ以上に自分は閉所恐怖症で、目の前に空間が確保できないうつ伏せ寝は恐怖でした、
左目に眼帯をされている恐怖感とこのまま見えなくなったらどうしようという不安感、そして閉所恐怖症のストレスでメンタル面でかなり応えました。
あらためて自分の弱さに気づいたともいえます。

入院中はうつ伏せが基本で、動かないこともあって普通に3食いただく食欲もなく、辛い生活でした。腰や腕、肘、背中にはシップやパットを貼って痛みを和らげました。
あと左目を塞がれている不便さを目の当たりにすることになりました。
視野の狭さ、そして遠近感のなさ。
コップに水をつぐのも難儀。歯ブラシに歯磨きのチューブをまともに乗せられない、などなど。
スマホを操作しようにも、思った場所に指が当たらないのも困りました。
メールを打つ気にもなりませんでした。

ある日の朝食

1日に4回、複数の目薬を順番通り差すのがルーチンで、その時だけ眼帯を外すのですが、外してもやはり左目は見えない。ただし光はわかります。
ガスが抜ければ目は見えてくるようになるそうです。先生によれば、今の状態は水中にいる時と同じだとか。
ガスが抜けるまでは手術から3週間程度。その間このぼんやりした状態が続きます。事実上右目に依存した生活になります。
またガスが抜けるまでは、(ガスが目の中で暴れると剥離が再発する可能性があるため)安静が必要とのことで、退院しても自由になれるわけではありません。

退院

そして6月18日、7日間の入院を終えて退院となりました。
タクシーと電車を乗り継いで何とか家にたどり着きました。
左目が見えないのでとにかく怖い。これだと確かにしばらくは外出は難しそう。
家に戻ると大量の洗い物と洗濯物の山。
留守を預かっていた次男からは「今日退院なのか、ごめん」とだけメッセージが(笑)

退院後は座位と右向きの姿勢での就寝を許可されています(視野が欠けていた右下の対角である左上網膜の修復のため)。
仰向けは絶対に禁止、また目の中でガスが暴れて再び網膜がはがれる可能性があるためあまり動かないようにと。平たく言えば安静が必要ということですね。
仕事は疲れない程度のPC作業はOKとのことですが、やってみるとキーボードをまともに打てない(笑)目が二つあるのは飾りじゃないんだという当たり前の現実を知りました。
もちろんお酒も当面はだめ。
仕事はもちろん、家事や介護対応などどうするのかはこれから考えます。

あと、ガスが抜けるまでは飛行機には乗れません。というか気圧の低い場所はNGです。
軽井沢とか、ピンポイントで禁止されました(笑)

ガスが抜けるまでの禁止事項。軽井沢は名指しでNG

とりあえず次の診察が6月26日にあるので、その時の状態次第でその後が決まる感じです。
大変のなのは次の診察まで顔を濡らせないこと。
首からしたのシャワーはOKですが、洗髪は美容室で仰向けでやれと。
うーん、どうするか。
あとは髭剃りをどうするか。肌が弱いので電気シェーバーを使わず手で行っていたのですが、顔を濡らせないので現在は放置して山男のような風貌になりつつあります。

それはともかくとして、ここに至るまで仕事などいくつか穴をあけてしまいました。
たくさんの皆さんに迷惑をおかけして申し訳ありません。

追記

大切なことを書き忘れました。
お世話になった病院の皆さん本当にありがとうございました。
とりわけ看護師さんたちの献身的な仕事ぶりには頭が下がります。
あの状況で皆さんの優しい声かけがなかったら耐えられなかったと思います。
心よりリスペクトします。


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