姉の命日に伝えたかったこと。生かされた命と与えられた身体。
4月10日は姉の命日でした。
この一年、姉の身体に触れる事は
できなくなったけれど
姉の事を想ったり
姉との思い出に触れたり
姉が何かを教えてくれる
というようなことは随分
増えました。
結果、一年経って私にとって姉の
存在は相変わらず偉大です。
4月10日が近づくにつれ、姉が
近くにいる気配を感じる事が
増えました。
そして、つい先日とうとう
姉が夢に現れてくれました。
いつものように、肝っ玉が
完全に座り切った態度で
ストレートな言葉で意見する姉。
私はいつものように、目を輝かせ
て姉の話に大きめの相槌を打ち
「お姉さんってすごいなぁ」と
心の中で呟きました。
4歳の頃から全然変わってない。
姉の事をずっとそんな風に見てきました。
あと3年経って、姉と同い年に
なったとしても私は姉のように
なれる気がしない。
私にとって姉は正義の味方の
ような存在で、安心を感じ
られる場所でした。
大人になってからも
「ちづこちゃん、ちづこちゃん」
って、いつも私の事を可愛がってくれて
私が失恋した時は
「ちづこちゃんを悲しませる男は私が
後ろからレンガで頭をかち割ってあげるから!」
と私の頭を撫でてくれました。
事故の後、病院で寝たきりだった
時は、往復2時間以上かけて
来てくれて
当時は垂れ流すしかなかった
便を誰よりも綺麗に拭き取って
くれました。
心が辛い時は、蚊の鳴くような
声で話す私の口に耳を寄せて
そうかそうかとずっとそばで
寄り添って話を聴いてくれました。
今もどこかまだ姉の死を信じ
られない自分がいて
それでも一年前の日の姉を
思い出すと
あれはやはり現実だったんだと
胸が苦しくなり
わたしにはまだもう少し時間が
必要なんだなと思います。
今日、小椋さんとの対談の
収録があったのですが
対談後に関テレさんの取材があり
「これだけは絶対伝えたい事って
何ですか?」
という質問がありました。
何だか上手く言えなかったんですが
生きているのではなく、生かされているということ。
身体があるのではなく、身体を与えられているということ。
当たり前の出来事にこそ感謝して、生かされた命を大切に生きること。
そんな当たり前の事を当たり前にすることで、人はどんな状況でも一瞬で幸せになれる。
そんな事を事故の経験と姉が
教えてくれましたと
伝えたかったのです。
今日の様子は、4月25日前後に関テレの番組のどこかで放映されるそうです。
■「安全の本質は愛」
昨年の報道ランナーの特集で取り上げていただきました。
https://m.youtube.com/watch?v=sG9eujTQjl0
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JR福知山線事故の本質〜企業の社会的責任を科学から捉える〜(山口栄一編著 NTT出版)より
事故から約2年の日々を綴った私の手記を全文お読みいただけます。
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