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綾瀬で過ごした寒い雪の夜の記憶
明日は、北総鉄道様の安全講演会にお招きいただき、講演をさせていただく予定で、今日から東京入りしている。外はなんと40度だとか!
東京駅から山手線に揺られて、講演会場近くのホテルに向かう途中、ふっと20年以上前に足立区綾瀬で当時の彼と2人で暮らしていたことを思い出していた。
当時、私は社会人2年目の24歳。ハイジュエリーやダイヤモンドの裸石などを扱う専門商社に勤めていた私は、ある日突然配属された新規事業の新規開拓営業がいろいろと辛すぎて、毎日をどんより過ごしていた。
さらには、当時ずっと想いを寄せていた韓国人の元カレが、モンゴル人の彼女と婚約したと聞き、仕事もプライベートも絶望感でいっぱいになっていた。
そんな時、東京生まれ、東京育ちのハイセンスな彼が救世主の如く現れ、彼に誘われて足立区綾瀬で一緒に暮らすことになった。
当時住んでいたマンションは、綾瀬らしからぬオシャレなマンションで、広いリビングの天井は2階の天井ほど高く、三角になっていて、ダウンライトがいくつかついており、てっぺんには天窓までついていた。綾瀬とはいえ、どう考えても破格の家賃。今思えばかなり怪しいけれど、当時若い私たちは、「今、契約したらさらに安くする」と言われ、間取り図を穴が開くほど眺めて、契約書の判をついた。
そのマンションに住んでいたのはたった一年だったけど、今思うとある意味とても色濃い一年だった。
住み始めた頃は、オシャレな家に気分もあがり、仕事も少しは慣れていったけれど、一方で家の近くで死体遺棄事件が起きたり、朝の通勤時に痴漢にあい、思わず抵抗して文句を言ったら、大声で罵られたり、同期が駅前でストーカーに何度も追いかけられたり、階下の住人が夜な夜な床を鈍器で突き上げてきたり...というような怖い出来事が、割としょっちゅう起きていた。
でも私が一番記憶しているのは、怖い記憶ではなく、ある寒い雪の夜の記憶。その日、彼は出張中だったのかとにかく不在で、私は1人で夜を過ごしていた。
外は珍しく、今にも積もりそうな勢いで、深々と雪が降っていた。
ふっと、天窓を開けたい衝動にかられた。ちょっとだけの時間、天窓から雪が降ってきたらどんなに綺麗だろうと思った。
そこで一度も開けたことのない天窓のレバーをぐるぐると回してみた。
しかし一向に天窓は開かない。天窓と繋がっているロープが錆びていて、もう開けないのかもしれない。
仕方がないから諦めようとしたその時、「バンッ!」という大きな音がして、天窓が大きく開いた。
そして大きく開いた天窓から、雪が降ってきた。天窓の向こう側の真っ暗な空から、ダウンライトに照らされた雪が降ってくる様子は、何とも幻想的だった。私はその美しい光景にしばらくの間、目を奪われ続けた。
80cm四方程の天窓から入ってきた雪は、床に着く頃にはリビングの半分くらいに広がるように落ちていく。
ふと我に返り、「もう閉めないと!」と思う。リビングの床がどんどん濡れていく上に、窓が一つ開いているだけで、室内がえらく寒くなっている。
そこで急いでレバーを反対に回すも、カラカラカラと空回りするだけで、窓は全く閉まらない。
どうも、さっきのバンッという音は、ロープが切れた音だったようだ。
うっとりと雪を眺めていた所から、一転して焦り出す私。
当然雪は室内に降り続け、私は寒い部屋の中で、凍えそうになりながら、半泣きで傘をさして業者に電話をしまくっていた。
不思議なことにその後どうなったか、全く記憶がない。
確か、翌朝になって外から屋根に登り、天窓を閉めたのだが、朝までどうやって過ごしたかについてはわからない。
とにかく、天窓から降ってくるダウンライトに照らされた雪が、とても美しかったことと、半泣きで室内で傘をさして凍えている自分を、もう1人の自分が「滑稽だな」と笑っていたことだけは、今もとても色鮮やかに覚えている。
22年前の寒い雪の夜の記憶。間違っても、明日の講演で、この話をするわけではないけれど^ ^
今夜も熱い熱い夜。私のどうでもいい寒い雪の夜の記憶が、長文に付き合ってくださった皆様の身体内で、涼しさへと変換されていたら、嬉しいです♡
#人生に起こる出来事は何でも楽しまなあかん
#この2年後に大事故で死に直面して
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