七十五年前の夏・・・
毎年のように日本が猛暑に包まれる頃・・・終戦記念日がやって来ます。
今年はこのコロナの騒ぎの陰で、政治の世界では「専守防衛」という戦後日本が守って来た壁が崩されようとしています。
歴史が物語るように、戦争は些細な出来事から簡単に始まり、そして、それを終わらせるには多くの困難と犠牲を伴います。
七十五年前の夏、一握りの心ある政治家が文字通り命懸けであの戦争を終わらせました。
「昭和20年・・・1945年8月9日の深夜から、10日の未明にかけて、終戦の最後の決定をする天皇御臨席の「御前会議」が開かれた。広島に原爆が投下されるなど、日本の戦局は末期の状況を迎えていた。
戦争終結へと向けて、組閣された鈴木貫太郎内閣は、なお強硬な立場をとっていた陸軍の対応に苦慮していた。その日には、長崎にも原爆が投下され、ポツダム宣言受託内容の早急な決定が迫られていた。
決して軍の立場を譲らない、阿南陸相などを説得するために、鈴木首相は、最後の手段として天皇のご聖断を仰ぐための御前会議を開かざるを得なかった。
そのとき、天皇に速やかな終戦の案を進言したのが、国内外ともに終戦へ向けて命懸けの交渉を続けて来た、東郷茂徳外相であった。
深夜に始まった御前会議で、立憲君主の立場を貫かれてきた昭和天皇も、陸軍の主張を退け「私は東郷外相の意見に同意である」とその意思を初めて示された。そして、その結果、日本は8月15日に無条件降伏をすることになる。」
そして、今、同じ政治家が先人たちの思いとは違う方向へ向かおうとしているような気が致します。
勿論、時代は変わり、世界情勢やその力関係も変わろうとしています。隣国から自国を守る選択なのでしょう。
ただ、どうでしょう人類唯一の被爆国として国の歩むべきほかの選択肢
は本当にないのでしょうか・・・
何年か前のニュース番組で、日本の軍備問題に意見を求められた、アメリカのある上院議員がこんなことを述べていました。
「個人的には出来れば、日本は我々のような普通の国にはなって欲しくない・・・せっかくここまでやってきたのだから・・・人類の新しいモデルとして」
それはとても、印象的な言葉でした。
今年もまた、熱い暑い終戦記念日のようです・・・。