見出し画像

ハニー・ボーイ

シャイア・ラブーフと言えば、『トランス・フォーマー』や『ニンフォマニアック』が思い浮かぶ。
他にも『ウォール・ストリート』や『フューリー』、『チャーリーズエンジェル』等、数々のヒット作品に出演している。
僕のおすすめは、シャイア演じる主人公が隣家を覗き見してたらどうやら隣人が行方不明事件の容疑者なのではないかと疑いを持つ『ディスタービア』だ。
そんなシャイアが元は有名子役だったのは知っている人も多いと思う。
本作はシャイアの子役時代のトラウマと父親との間にある愛情を描いた、全くの新しいタイプの映画だった。

「大人になった今、

僕は知った、

そこに愛があったことを-------- 」

初めてポスターを見た時、このキャッチコピーが印象的だった。
どう見てもシャイアの父は、父親として酷く見えたからだと思う。
実際に本編で描かれたオーティスの父は酷いものだった。オーティスの話は聞かず、オーティスが気に食わない事をすれば怒鳴る。どう見ても虐待親だ。
でも、オーティスはどう見ても父親を心から愛してる。彼が父親に対して歯向かうシーンも何も間違っていないのに、父親が「出ていく」という前から「行かないで。」と泣いたり、母親との間にも愛情はあるのに父親が「ここを離れる」と言うと「僕も一緒に行くよ」と言う。
でも22歳の時のオーティスは完全に父親の事を頭の中から遠ざけている。その間に、二人に何があったかは描かれていないから知るすべもないが、この映画を見ていると、そんな父親もオーティスに対する愛を少なからず感じられるのだ。
それはまるで溢れ落ちた細かい欠片を幾つか拾ってようやく少しだけ垣間見れる様なもの。でも、少なくともこの脚本を書いたシャイアには父親の愛を感じられていたとわかる。
それはジュプの繊細な演技力と、当時オーティスであったシャイアが父親を演じるというあり得ないとも思える描き方があったからこそ伝わるものだったんだと思う。

見ている途中、この映画の着地点はどこなんだろうと気になった。果たして終わるのだろうかと。
映画としては「おぉ、ここで終わりか」となるのだけれど、オーティスの人生は今も尚続いているし、22歳のオーティスと父親のプールでの会話が着地点となっているのだろう。
さっきはオーティスと父親の愛情は二時間の映画を見てようやく垣間見れるものと書いたけど、この映画を見終わり「何よりも愛溢れる映画」だと感じた。
オーティスと父親の間に見れたものだけでなく、隣人の女性との絆や、何よりこの脚本を描き、父親を演じたシャイアと、作品として仕上げたキャスト、スタッフ、監督全てに夕日のような優しい温もりを感じる。そんな作品でした。