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記事紹介――道徳的動物日記「『安楽死』をめぐる議論のおかしな構造」

 今回は記事の紹介。最近安楽死に関しての議論というか意見表明が盛り上がりを見せているが、その安楽死議論の構造について検討したものである。

 この記事の筆者は安楽死賛成派・反対派ともそれぞれ2つに分けられる、すなわち賛成派は自己決定権の尊重と社会全体の効用のための2派に、反対派は所謂「デスハラ(不本意な安楽死への圧力)」への懸念と生命至上主義の2派にである、としている。

 確かに安楽死賛成派・反対派ともに一枚岩ではない。議論の主体となっているのは賛成派では自己決定権の尊重派、反対派では「デスハラ」危惧派であろう。しかし表立って議論に参加することは少ないかもしれないが、安楽死によって資源を有効活用しようという考えや、生命の存続は個人の意思に優越するという考えの人もいると思われる。「デスハラ」危惧派の中には生命至上主義をある程度土台にもっている人がいるのではないかとあちらでは考察されていたが、逆に自己決定権の尊重を唱える人にも、社会全体の効用という要素を考慮している人もいるかもしれない。

 そしてこれらの立場の人、主に自己決定権の尊重派と「デスハラ」危惧派が安楽死について議論する場合は、そもそも「自己決定権」についての認識が異なるために、議論が難しくなってしまうのだと指摘されている。本人が死にたいと思えば安楽死を認めるべきだとする立場の人は、病気等の苦痛で人生を終わらせたいと願うというのは本人の意思だし、その自己決定権・幸福追求権を尊重すべきだと考えている。

 しかしそれに反対する人たちの中には、「自己決定権」それ自体を疑わしいものと捉えている人も多い、というのがこの記事の意見である。そうであるから、苦痛に苦しむ人が「死にたい」と願うというのは、その苦痛を排除・緩和できない社会に「死にたい」と思わされているだけであり、「死にたい」と思わせている社会を変えなければならないという考えになるのだ。

 こうして、そもそも「世界観が違う」ため、安楽死の議論は平行線をたどることになる。安楽死賛成派は、安楽死ができても反対派は使わなければいいんですよという言い方をすることもあるだろうが、反対派にとっては安楽死という選択肢が存在すること自体がよろしくないという考えなので、安楽死したい人はする、したくない人はしないという妥協案は存在しない。確かに、安楽死の実現は単純な選択肢の増加では済まないだろうと私も思う。

 最近思っていることだが、安楽死反対派のいう「病気や障害などの問題があっても、死にたいと思わないような社会」、それ自体は安楽死賛成派にとっても全く反対する理由がないのだから、可能ならさっさと実現させてくれよと思う。安楽死賛成派も、根本的には安楽死が必要とされない社会を望んでいる。しかし、それが不可能、少なくともしばらくは実現されないと考えているからこそ、ベターな方法として安楽死が用意されるべきだと主張しているのである。

「死にたいと思わないような社会」はこれまでも多くの人が実現を目指してきたはずだし、今の政治家もこれに反対する人はいないはずである。しかしながら、今なお「死にたいと思わないような社会をつくるのが先決だ」という主張がなされていることそれ自体が、その実現がまだ成されていないこと、そしてその実現にはこれからも時間がかかることの裏返しになっている

「安楽死よりも安楽死を望ませるような社会を変えよう」という人は、その実現がいつになるのか、それまでの間、安楽死を望むほど苦しんでいる人にはどう対処するのかを示していただきたいと思う。それを示さないというのは、現実から目を逸らし理想論を唱えているだけとみなされても仕方ないだろう。今回のあの事件の後には、障害や難病を抱える当事者からも「安楽死より生きる権利を優先すべき」という意見があったが、彼らを含め、安楽死に反対する人は、安楽死が必要とされなくなる社会の実現まで、今安楽死を望むほど苦しんでいる人たちには社会のために我慢しろと言える覚悟を持っていただきたい

 覚悟というのは安楽死賛成派にも言える話である。「デスハラ」への懸念が日本で出てしまうのは、数人の著名人の発言や幾つかの事件を見る限り仕方ないところがあると思う。実際に安楽死が導入された場合、「デスハラ」によって不本意な安楽死に至るケースがゼロとは誰も言い切れないだろう。安楽死賛成派は、どうすれば「デスハラ」を減らせるのか、ゼロに近づけられるのかについて、具体的な方策を検討する必要があるだろう。

 もっとも、この国の社会保障情勢を見れば、財政的には高齢者に長生きしてほしくないと思っている人も、もちろん表向きにそういう発言はしないもののそれなりにいると思われる。彼らは安楽死議論の成り行きを見守っているだろうし、国民に受け入れられると思った場合には、「倫理」ではなく「必要」のための安楽死の導入に向けて動き出す可能性もあるだろう。高齢者が票田となっている現状ではなかなか困難な話だとは思うが。

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