34: 「ロープと蛇」に思う & 「アシュターヴァクラ・ギーター」からの補足
精神世界の関係の本を読んでいると、ロープを蛇と見間違えるという記述によく出くわします。
暗い夜道に「ロープ」が落ちていたら「蛇に」見間違えてもあまり不思議ではありません。
もちろん、この話は別のことを伝えるための「譬え」として出した筈ですが、今まで自分は何の譬えなのか真剣に考えたことがありませんでした。
ところが、以前の記事で書いた体験「起きることは変わわらないけれど」で起きたことと、「ロープと蛇」の譬えがつながってきてしまいました。
この譬えにしても、色々な解釈が出来るかもしれませんが、自分の解釈はこんな感じになります。
以前は、自分の回りで起きる出来事は「うれしい事」や「いやな事」だった。
ところが、あの体験の後から「うれしい事」や「いやな事」は無くなってしまい、ただ、出来事だけが起きるように変わってしまった。
この「うれしい事」や「いやな事」が「蛇」であり、「世の中で起きる出来事」は「ロープ」だと感じるようになった。
言い方を変えると、「蛇」は自分の「欲望のフィルターを通して見た現実」というようになると思う。
「ロープ」は、「欲望のフィルターを通さない素の現実」と言うことになるのと思う。
「アシュターヴァクラ・ギーター」にも「ロープと蛇」の記述があったことを思い出し探してしたらいくつも見つかったので参考の為に載せておきます。
「アシュターヴァクラ・ギーター」の「ロープと蛇」
アシュターヴァクラ・ギーター
トーマス・バイロン(著)、福間 巌(翻訳)
ナチュラルスピリット(発行)
ここでは、「ロープ」は「真我」で「蛇」は「世界」という感じで書いてあるようだ。
これは最近の記事によく登場している、思考に焦点を当てているか、当てないかの話にもつながっているようにも感じる
■「アシュターヴァクラ・ギーター 1 真我」より
10 (P.37)
幸せでありなさい!
あなたは歓喜、限りない歓喜だ!
あなたは気づきそのもの
ロープを蛇と見間違うように
あなたは世界を見間違えたのだ
■「アシュターヴァクラ・ギーター 2 気づき」より
7 (P.45)
真我が知られないとき
世界は現れる
真我が知られれば
世界は現れない
だが、あなたはロープを蛇と
見間違えたのだ
ロープとわかれば
蛇は消え去る
9 (P.46)
世界が私の中に現れるとき
それはただの幻にすぎない
水面(みなも)にきらめく日の光や
真珠貝の銀の縞模様
ロープを蛇と見間違えるときのように
■「アシュターヴァクラ・ギーター 5 溶け去る」より
3 (P.65)
あなたは世界を見る
だが、ロープを蛇と見間違えるように
本当は、世界は存在しないのだ
あなたは純粋だ
あなたは自身を溶かし去りなさい