26: 「恩寵の扉が開くまで〈2〉」- 個々の体験には囚われず進みなさい
恩寵の扉が開くまで〈2〉フーマンからの贈り物
フーマン エマミ(著)、 天野 清貴(著)
今回は、本の紹介と言う形を取った記事ですが、実際にはこの本の中で取り上げられている一つの会話のみに焦点をあげたいと思います。
noteに来てアップした記事には、自分が体験した「普通では無いもの」がいくつか紛れ込んでいます。
その方向は、これからも変えるつもりはないのですが、その中でこれだけは注意していきたいことがあります。
それが、今回取り上げた「本の中で出てくる会話」になります。
精神的な世界に足を踏み入れた人達が、直面するかもしれない事だと思います。
俗にいう不思議体験ですね💦
人によって、とらえ方も様々だと思います。
本当のところ、何が起きているのかわかりません。
ただ、その扱い方は現時点で自分が信頼している人の言葉を参考にしたいと思います。
それが、ここで出てくるフーマンの言葉です。
いつか、自分自身で判断出来るまでの行動指針としていこうと思います。
今回、取り上げたのは、フーマンとアジスの言葉ですが、他の人でも同じようなことを言ってる人はいます。
そちらも、別途、書くかもしれません。
■大切な言葉 - 恩寵の扉が開くまで〈2〉より
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キヨタカ: その後も折に触れて、不思議な「凄い!?」体験をして、その都度アジズやフーマンにも報告をしたが、
フーマン: 体験ではなく体験の主体に留まりなさい
キヨタカ: という事が、2人の首尾一貫したメッセージだった。
キヨタカ: このようないわゆる神秘体験とかエネルギー体験について、フーマンは言う。
フーマン: そうしたエネルギー体験はひとりでに来ては去っていくもので、それに焦点を当てる必要は全くない。 それらは、ただ通り過ぎるに任せなさい。 究極的には、霊的な道において体験に関する事はそれ程重要ではなく、大切な事は自分自身で在るという事だ。
「私が在る(I AM)」 という当たり前のことが、存在の最大の神秘なのだ。 霊的な探求においては、その道を歩めば歩む程、途中で様々なワナに遭遇する。
こうした神秘体験は一度味わうと、麻薬と同じく解っていてもそれを追い求めてしまう傾向がある
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以上、引用終わりです。