2024年10月10日 木よう日
たまになんか死にたいような気になる。
どっとつかれるような。
まいにちがぬるぬると進んでいく。不快だと思うことがある。針の刺すような一瞬。でもまた薙いでいく。ひとしごとだ、という気持ちはならない。うんざりせずに起きる。なにも考えていないみたいに動く。
休職してたなんてうそだったみたいに働かせてもらってるなと思った翌日に、休職して中断した仕事のことが思い出されてかなしくなる。トラウマってよく物語に出てくる。なんかそういうのとは違って別にワッてなったり動悸がしたり泣いたりめまいがしたりなんかはしないけど、じわ〜っとかなしい気持ちになり、過去は変わらないので、まいかいその都度、じわ〜ってなる。またああいう環境に身をおいてつらくくるしいのを、でも耐えて過ごしとおす、ことができなければ、ずっとこのままなような気がする。かなしい気持ちが鍾乳洞みたいに、ひたひたしたたって石になっていってそこはずっとつめたくてすずしい。
かなしくなりたくないって、高校生くらいのころからずっと思っている気がする。たのしいとかも。情動を動かされたくないって。鍾乳洞がなくなることってあるんだろうか?地震や津波でもないかぎり、埋まったりなんかしないんじゃないのかな。こんど調べてみよう。
新しく買ったスニーカーをおろしたらめちゃくちゃ幅が細くて痛い。ずいぶん試着してサイズを選んだのに。あのときは靴下を履いていたけど、きょうはタイツだからかな。履き慣れるといいけど。つまり血を流してどうにかなんないかってことだ。気に入りのパンプスは内側のクッション性のある皮がわたしの足の形にえぐれている。多分血が染みている。
ラジオをやろうかと考える。動画を作りたくて買ったマイクがそれきりだから。動画って大変だ。画角とか。よくあるああいう映像の連なりを作るのにその何倍も何十倍も時間がかかるってのがちょっとやってみただけでもわかって途方に暮れてそれきり。(たぶん)音質のいいラジオになるはず。そこそこな値段のものにしたし。それでなにを話そう?話すことより話し方の方が大事な気がする。
夜、ねむるときさむい。電気毛布、まだ使いたくないけど。
あしたは金曜日だ。先週、今日金曜日ですよ!うれしーと言ったのが昨日のことみたいなのに。土日は髪の毛屋さんに行き、そのあと美術館に行きたいが。本も読まなければ。延滞してばかり。
20時に閉店のパフェ屋さんに並んでいていま19時17分。なんの声もかからないけど、間に合うのかなぁーとぼんやり思っている。お店って20時にばーんってしまるもんなのかしらん?
日記ってみんな好きだと思うけど、わたしは南條あやの日記がその原体験という気がする、と10年以上も読み返してないのに、名前だけ、こんなすぐ出てくる。