2024年1月28日 日よう日

 金曜日と土曜日はほとんど漫画を読んでアニメを見て横になって過ごしていた。いろいろやることはあったのだけれど……。ついドーナツをデリバリーしまくってしまう。油分と小麦粉と砂糖はどうしてこんなにおいしいのだろう……。大麻とどちらがその実、健康にわるいのか、はなはだ疑問だ。大麻が合法な国もあることや、たばこやアルコールとの健康被害の度合いを比較した記事をはじめて知ったときはほんとうに衝撃だったものだ。そのとき自分が優等生でいたいのだといやになるくらい自覚した。大麻へのひじょうな嫌悪感や忌避感は結局のところ、なんか不良っぽいとか、そんなものに手を出すのはろくでなしに違いないとかいう、ステレオタイプ?思い込み?でしかなかったのだ。それが実際にはなんであるのかすら、知りもしなかったのだから。
 話がそれたけれど、横になっていても、午前中には起きて、夜、日が沈むまでは昼寝もせず意識を保っていられるようになって、よくなってきたな、とあらためて思った。時間がとけて泥みたいに昼も夜もなく眠っていたのに。

 土曜日の夜にNETFLIXオリジナルの『もう終わりにしよう。』という映画を観た。おもしろかった。ひたすら不穏な会話が続きめちゃくちゃこわいなぁと思って観ていて、とちゅう挿入される用務員のおじちゃんのシーンになんともいやされる。不穏な会話がなく、たんたんと仕事をしているシーンなので。とか思って観すすめていると、おや?となる。その用務員が主人公なのだった。どうやら。特別な才能もないのに努力だけはして、それでも学者にはなれなかった。恋人はいない。学校の生徒に馬鹿にされていやな顔をされながら掃除をする。それを、もう終わりにする話。
 そんなにみじめだろうか?と思った。用務員という仕事は。みじめなのかもしれない。ほしいものが手に入らないのならば。生活できるだけの給料がもらえるのならなんだっていいじゃないかと思う。でも恋人がほしくて、学者になりたくて、認められたいなら(誰に?何を?)、みじめなのだろうか。
 妄想なのに、ぜんぜん幸せそうじゃない、不穏でこわい会話ばかりなのが不思議だ。母親が何度も言う。「特別な才能もないのに勤勉だなんて、特別な才能がないからこそ、それはよりいっそう、大変で、すごいこと」。じゃあいいじゃないか?わたしはそれを本当にそうだと思う。皮肉でも嫌味でもなく、勤勉なのは、すごいこと。やりたいことをやれるのは。それなのに、特別な才能がないことは、そんなにかなしくつらいことなのだろうか。
 理想の恋人が、妄想のなかで言う。「じろじろ見られて気持ち悪かった!ウザかった!」吐き捨てるみたいに言った後に、それでも理想の恋人は理想の自分を探しに行ってくれる。その理想の恋人をみつめる用務員でしかない主人公のあの表情。
 どうして妄想なのにそんなことを言わせるんだろう?そこに、主人公の不思議な魅力があり、わたしには、ちっともみじめに見えない。彼が。終わりにできることだって、立派だと思う。ほんとうに。

 と、『もう終わりにしよう。』について考えているうちにとろとろと眠る。きょうは妹と会った。NISAのことを教えに。夏ごろから、妹とは月に一度くらいの頻度で会っている。彼女が恋人と別れてくれたので。わたしは彼女の恋人が苦手で、その話をすこしも聞きたくなかったんである。
 妹とは写真を撮りあって、お化粧のことや美容医療のこと、仕事のこと、家族のことを話す。仕事に感情はいらないよ!と言うので、どうしたらその境地に至れるのか、根掘り葉掘り訊く。女優になるの!それ用の人格。そう言ってわたしにみごとな笑顔を向ける。妹はほんとうに笑顔がうまい。カメラを向けると、それこそ女優のように自在に表情を作る。自分の担当分は全力でやるけれど、できない同僚、機能しない管理職が担当するお客さんに迷惑がかかっていても、それは自分のせいじゃないのだし、しょうがないことなのだから、考えない。とのこと。お客さんはじゃあ、かわいそうだねって、それだけ?というと、そう、ご愁傷さま、と、妹はあっさりと言った。

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