2024年2月3日 土よう日

 夜に今週の日記を書いていたらすこし落ちついた。ストレスがかかるたびこんなにたくさん考えていたのではちょっと大変だと思うけれど、もっとむいしきに、そういう、ストレスへうまく対処できるような考え方が出てくるようになればいい。心理療法はその練習。宿題をまだ済ませていないから明日と明後日で書かないと。

 なかなか眠れなくて、うどんをゆでて食べてみたりするけれど、眠れない。何をしていたっけ。ぼっとYoutubeをみたりTwitterをみたりしていた気がする。
 朝方4時に眠る。ほんとうは12時には起きて出かけたかったけれど、なんども目覚ましが鳴り、止め、セットしているうちにあきらめて、結局夕方の4時に起きる。落ち込む。
 でも必要な量、眠れたのか、起き上がるとすぐに食器を洗ってハンバーグを作り出すことができた。刻んだベーコンを入れるレシピ。脂がすごくでてきて半ばあげ焼きになってしまったけれど、おいしくできた。よかった。ケチャップをかけて食べるのが好き。

 食後にスプラトゥーンをする。ちょっと元気になったけれど、やはり、頭の片隅でおととい人事課に言われたことを考えている。うーん。それでまた妹に電話をかけてしまう。気になっちゃうんだねぇ。と言われる。何を言われても、いろいろ考えてしまうから、それでひっかかってしまうんだね。そうなのかな。

 何かを考えるに値しないとか、まじめに受け取る必要がないとか、判断するのが、苦手だ。わたしがわからないだけで、それがすごく重要なのかもしれないと思ってしまうから。でも仮にそうなのだとしても、いまのわたしにわかることや受け止められることには限界があって、そこからこぼれてしまうようなものまで、あわてて受け止めようとしなくていいのだろうと思う。それでできることもできなくなるならば。

 休職した直後は本当に死ぬ気だった。死んだらいいじゃんと思ったから休職できたとも言える。死んで、仕事もやめて、貯金を食いつぶしていこう、それでいい、それがいいと一度、ものすごい確度で思ったことで、毎日出勤して給料がもらえたらもうそれでいい、というか、十分すぎると思うようになった。あるべき姿?仕事ができるひとになりたい?昇給?それらすべてが、ささいな、どうでもいいことのように思える。
 『人間の生のありえなさ: 〈私〉という偶然をめぐる哲学』という本に、アルコール依存症からの回復を取り扱った章がある。それが妙に自分のことのように思えた。わたしはアルコール依存症どころかビールも飲めないくらい酒に弱いのだけど。アルコール依存症から回復することを目的とした世界的な相互互助組織、Alcoholics Anonymous(以下AA)のかかげる12のステップについて論じられているのだけれど、それが、なんとなく、わかるなと思ったのだ。

AAの12のステップ

1.私たちはアルコールに対し無力であり、思い通りに生きていけなくなっていたことを認めた。
2.自分を超えた大きな力が、私たちを健康な心に戻してくれると信じるようになった。
3.私たちの意志と生きかたを、自分なりに理解した神の配慮にゆだねる決心をした。

https://aajapan.org/12steps/

 この第一のステップを、『人間の生のありえなさ』では「底つき」と表現している。

「底つき」において依存症者に生じているのは、自分がこれまで経験した全戦全敗の負け戦が要するに何を意味していたのかという、ひとつ上の視点への移動である。自分が求めていたのは酒ではなく、酒という形でしか―酒との戦いにおける必然的敗北を通じてしか―触れることができない「自分を超えた大きな力」だった。

人間の生のありえなさ: 〈私〉という偶然をめぐる哲学 146ページ

 わたしの社会人生活も全戦全敗の負け戦だった。わたしが求めていたのは、仕事上の成功でも賞賛でも昇給でもなく、「自分を超えた大きな力」すなわち、他者だった。みんながどんなふうか、知りたかった。
 わたしは、他者に対して、無力で、思い通り生きていけなくなった。
 わたしは、自分なりに理解した神(それは死なのか?)の配慮に、すべてゆだねる決心をする。
 休職は、ものすごい大敗で、それでわかった。わたしが無力なことを。そうだ、と思う。

 だからわたしはもう以前のようになりようがないのに。

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