記憶は有限
突然ですが質問です。
あなたは一年の間に何度お祝いをするでしょうか。
お祝いをするには何か理由があるはず。
それは何かしらの記念の日であるから。
一年に一度は基本的には全員が経験するであろう誕生日。忙しい毎日でも「今日は誕生日だからちょっとだけ奮発していいものを買って帰ろうか」と考えてしまうのではないでしょうか。その他にもパートナーがいる人であれば付き合った記念日、結婚記念日がありますよね。クリスマスやバレンタインデーといったイベントごとの記念日も近年では祝うことが多くなってきています。
1/365日しか訪れないその記念日。厳しいようですが1日でも過ぎると重みが違ってくると私は思っています。何か用事があってその日に祝えないことが予めわかっているのであれば話は別ですが、そうでない限りその1日を逃してしまったらそれはただのなんでもない日。考え方としては遅刻厳禁! に似ているといえば伝わるでしょうか。
このような考え方を持っているからこそ、記念日は大切にしたい。
だがしかし。
近年、記念日を忘れがちになってきている気がします。
先週開催されていたnote上でのお祭り、「呑みながら書きました」。私もいつもの如く参加させていただきました。その記事の中で大好きな人の誕生日を忘れていたこと、ちょっぴりへこんだことを書きました。元々、記念日をガチガチに覚えていて盛大に祝うタイプではないのですが年齢を重ねるとともに何かが変わってきている気がしてなりません。
また、その記事の中で”今までに好きだった人の誕生日、覚えていますか”という問いかけをしました。すると思った以上に反響がありました。(ありがとうございます。)しっかりと覚えている人、なんとなく覚えている人、全く覚えていない人。有名な言葉をお借りすると”みんな違ってみんないい”。
過去に好きだった人の誕生日。祝ったり、共に時間を過ごしたりしたその瞬間は一年に一度しか訪れない大切な記念日で、いつもよりちょっぴり特別だったはず。だけど別れて、数年経つといつしか記憶は薄れていき、大切にしたいと願っていた瞬間が靄になり、霧になり、散っていく。
忘れるということ。関心がなくなること。もう私には必要ないと脳が判断をした結果なのかもしれませんがそうなってしまうのが少し悲しい。まだ忘れたくないことであれば尚更です。
もちろん、過去の記憶から抹消してしまいたい記念日もあります。それならさっさと忘れてしまえばいい。(そんな記念日のほうが案外覚えていたりするのだけれど……)反対に楽しかった記念日や嬉しかった記念日はできるだけ覚えておきたい。その過去があって、今の私がいると思うから。
生きている間に起きた全てのことを覚えておくなんて不可能なのですが、それでもできるだけ忘れない努力をしたい。アナログではありますが、手帳やノートに書き留めるのも忘れない方法のひとつなのかもしれないと思い、本当に忘れたくないことは手書きで残しています。
あとは……書くことすら忘れてしまわないようにするだけです。
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百瀬七海さんのサークル、「25時のおもちゃ箱」に参加しています。開設してからもう1年が経っただなんて! おめでとうございます!
こちらのエッセイは6月のテーマ、「記念日」に沿って書きました。
いただいたサポートを糧に、更に大きくなれるよう日々精進いたします(*^^*)