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【掌編小説】コスモスに乗せて

「本当は美瑛に行ければよかったんだけど……ごめんな」
「全然! もうほんと、気にしないで。美瑛っていうのは最上級の願いだから。それがすぐ叶っちゃったら……面白くないでしょ?」

“今年こそはコスモス畑に行きたい”、ともう付き合って3年が経つ恋人の安里(あんり)の願いを叶えるべく、俺は車を走らせていた。天候は晴れ。気温も穏やかで秋の訪れを感じられる日が続いている。

「私はコスモスが見られるだけで嬉しいよ」
助手席に座る彼女から高揚が伝わってくる。

「そういえばさ、安里はどうしてそんなにコスモス畑に行きたいの?」
確か昨年初めて聞いた彼女の願い。次の週末はどこに行こうか話をしているときに“コスモス畑!”と返されたのが事の始まりだ。そのとき二人で調べるとコスモスの時期はもう終わりに差し掛かっていたため、断念したのだった。

「昔ね」
遠くの山々を見つめながら安里が言う。
「幼稚園の頃かな。私のことを好きだったゆり組の男の子がいたの。その男の子はたまーに私にプレゼントをくれるんだよね。朝、幼稚園に行くと私の椅子の上に置いてあるの。あるときはキーホルダー、あるときは手紙。そしてあるときは一輪のコスモス。どこから調達してきてくれたのかわかんないんだけど。花をもらったのが嬉しくて。しおれかけたコスモスを家に持って帰って急いでお母さんに一輪挿しを出してもらったの、今でも覚えてる。その頃からかな、私コスモスが大好きになったの」

嬉しそうな安里は気付いただろうか。俺の顔が一瞬曇ったことを。慌てて元の顔を繕ったので気づかれてはいないと思うが曇った理由は明白だ。俺の中に湧いて出てきた嫉妬心。
幼い頃の出来事にも関わらず鮮明に、美しい思い出として安里の記憶の片隅に居座り続けている少年を妬んだ。過去に嫉妬するなんて馬鹿げている、だけど単純に悔しかったのだ。

「はい、着きました~」
気を取り直して車を走らせること1時間、コスモス園に到着した。車を降りると爽やかな秋風がひゅうっと俺たちを出迎えてくれた。

入場券を購入し、パンフレットを片手に園内へと向かう。目の前には舗装された曲がりくねった道が続いている。数メートルごとにツタが美しく巻き付いている白いアーチが立っていて雰囲気も抜群だ。
この園は一方通行になっているため前から人が歩いてくることはなく、気兼ねなく写真を撮ることができた。まだ目的のコスモス畑にたどり着いていないというのに、安里は道に咲く花今いる場所から見える景色を懸命にスマホに収めていた。

最後のアーチをくぐると目の前には溢れんばかりのコスモスが咲き誇っていた。
赤、白、ピンク……。色とりどりのコスモスとその本数に圧倒される。こんなにも美しいものなのかと俺は驚きを隠せなかった。想像以上の景色だった。

「うっわー……」
コスモス好きを豪語していた安里も実は今日がコスモス畑のデビュー日。あまりの美しさに驚きを隠せず、隣で固まっている。笑顔なのに少し口が開いている、そんな姿が微笑ましい。先程まで良いアングルを探し、時にはスマホを、時には体を動かしていた彼女はどこへ行ったのだろうと思うほどだ。

「綺麗だね」
「うん。一年越しに来られてよかった。拓馬、連れてきてくれてありがとう」
「ううん。俺の方こそありがと。安里がコスモス畑に行きたいなんて言ってくれなかったらデートの場所にコスモス畑を選択するなんて俺の頭では到底考えつかなかったもん。だから喜んでくれて嬉しい」

俺は終始笑顔でゆっくりとコスモス畑を歩く安里の自然な姿をこっそりと写真に収めた。あとで送りつけてびっくりさせてやろう。

「安里。もうちょい進んだ所にカフェがあるみたい。そこで休憩しながらコスモス、堪能しよ?」
「うん」

数十メートル離れた所にあるカフェはコスモス畑のど真ん中を通っていく造りになっていた。四方八方をコスモスに囲まれるなんてなかなか体験できない。大喜びしている安里をみるだけで俺の顔も自然とほころんでいく。ほのかに香る甘い花の香りに包まれることで日頃の仕事疲れも吹っ飛んでしまうように感じた。

「結構混んでるねぇ」
みんなが同じルートを通り、同じところで休憩を考えるのは仕方のない事だ。俺たちがカフェに着いたとき、既に列ができていた。
「どうする? 待つ?」
「……待つ。だって、待っている間もコスモス、楽しめるもん」

待ち列のベンチはコスモス畑の方を向いて座れるようになっているところも、この園の工夫ポイントなのだろう。しかも前方のコスモス畑は人が入ることができないエリアになっているため、待ち時間の風景撮影にはもってこいだった。

写真を撮り、コスモスを眺めながら話をしているだけなのに時間は瞬く間に過ぎていった。
「安里ごめん、ちょっとトイレ」
「えー。もう次、呼ばれそうだよー?」
「ごめんって。先、入ってて?」
一瞬、安里は頬を膨らませたがすぐにその空気は抜け、目尻が垂れた。
今日はすこぶる機嫌が良いらしい。

10分ほど遅れて店内に入った俺は安里を探した。栗色のセミロング、栗色のセミロング…………いた! 窓際のカウンター席に見慣れた彼女の後ろ姿を見つけた。

「お待たせ」
俺の声を聞きつけて振り返った安里の目の前に俺はあるものを差し出した。それは片手で持てるくらいの赤いコスモスの花束だった。

「うっわー……さぷらーいず!!」
コスモス畑を初めて見たときと同じ、いや、それ以上の驚きを見せる安里。目を輝かせ、花束を俺の手から取り、感嘆の表情を俺に向ける。
「びっくりした?」
「びっくりしたー! 嬉しい! ありがとう」

実はトイレに行っていたわけではなかったのだ。

列に並んでいる途中、安里がコスモスに夢中になっていたとき、俺は目ざとく、コスモス畑の奥に茶色いワゴンを見つけていた。そこには“コスモスの花束販売中・お土産やプレゼントにおすすめ”とも。そうして俺は安里に見えないように視線をワゴンの逆方向へとリードしながら列に並び、直前で花束を買いに行ったのだった。

「赤いコスモスの花言葉は“愛情”なんだって」
「愛情……」
「俺はさ」
ずっと立っているのも目立ってしまうので椅子に腰掛けながら続ける。
「人間的に優れてる奴じゃないけど、安里に対する愛情はたくさんあるよ、っていう意味を込めて」
花束を買っておいてなんだが、意味を説明するのも照れる。
「じゃあこの一本だけ白いのは?」
その花に気づかない人なんていないだろう。わざと赤いコスモスの中に一輪だけ、白いコスモスを入れておいたのだ。
「白いコスモスの花言葉は“優美”」
「優美……」
安里はまだじっと花束を見つめている。
「じゃあ最後のヒントね。それ、安里だよ」
「え?」
「はい、あとは自分で考えましょーね」

この花束には何か意味がある。そう気づいてくれた安里は再び花束を見つめ、少し眉間にシワを寄せて考え始めた。花束を買って渡すだけでもかなり思い切ったことをしたなと思う。加えてその白い花は安里で、周りの包んでいるのが俺だよなんて恥ずかしくて言えなかった。まぁそれと同じくらい恥ずかしいことをしているのだけれど。

しばらくすると花束を見つめる安里の顔が変わった。俺がこのプレゼントに込めた意味を理解したのだろうか。そうであれば照れくさいが……嬉しい。

花束を愛おしそうに見つめるその横顔はプレゼントしたどのコスモスよりも美しいと思った。

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百瀬七海さんのサークル、「25時のおもちゃ箱」に参加しています。
こちらの掌編小説は9月のテーマ、「秋桜を見ながら」に沿って書きました。


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