【掌編小説】あの日の思い出 #影の物語
金曜日の夜。新年会で飲みすぎた真紀は近所の公園の切り株に座って酔いを冷ましていた。1月となれば夜はかなり冷え込む。だけど火照った顔のまま自宅へ帰り、まだ起きている親に「だからあんたは結婚できないんだ」、「酔うくらいならそんなに飲むな」なんて言われた日には楽しかった新年会の気分も一気に吹き飛んでしまう。だから真紀は寒さを我慢して、切り株に腰掛けながらぼーっと夜風にあたっていた。
「風邪引くぞ。しかもこんな夜中に、不用心」
後ろから聞き覚えのある声がした。振り返ってみると5年前、就職のために地元を離れて出ていった幼馴染の亮が立っている。
「亮! うわー! 久しぶり! っていうか何でいるの?」
「今日の夜、一時帰省な。ほら……知ってると思うけど親に色々報告? で、みんな寝静まったし、なんか飲みたいな―って散歩がてら、コンビニ行ってた」
半透明の袋を少し持ち上げて左右に揺らしながら亮が隣の切り株に腰掛ける。
年が明け、神社に初詣へ行ったとき、真紀は偶然亮の母親に出会った。少し立ち話をしたそのときに聞いたおめでたい話題。それが亮の結婚だった。就職先で出会った女性とこの夏に結婚するらしい。おめでとうございます、と返事をしたのだが、年明け早々、聞きたい話題ではなかった。どうせなら事後報告がよかった。
あれから1週間。まさか本人に対面するなんて思ってもいなかった。
真紀は自分の運の悪さを呪った。
「変わんないなぁ、この公園」
真紀の気持ちなんて知らない亮は半透明の袋からビールを取り出す。プシュッといい音を立てて缶を開けた亮はビールを一口飲んだ。喉仏がゆっくりと上下する。幼い頃、二人は毎日この公園で遊んでいた。それを昨日のことのように思い出せるのに、今、隣に座っている亮はすっかり大人の男性だ。そして今は隣りにいる彼の横にはもう決まった相手がいる。
「でもってこの切り株な」
「色々あったねぇ」
あれは二人が小学生の頃。切り株に登ったり降りたり、ジャンプをしたりして遊んでいたときのことだ。同じ切り株に二人立ち、じゃれ合っていた真紀が足を滑らせて切り株からずり落ちた。真紀は滑った拍子に頭を切って何針か縫う傷を負ったのだ。たまたま近くを通りかかった近所の男性がいたおかげで大事には至らなかったが亮の両親が何度もなんども真紀の家に謝りに来たのを覚えている。そして亮も。
「あのとき、言ってたのにね」
「ん?」
「お嫁にもらってくれるって。半ば亮のおじさんに言わされた感はあったけど」
静寂が二人を包む。
「真紀、あのさ。俺、ここを出るとき……」
「なーんて」
切り株の上にヒョイッと登りながら真紀が言う。
「真紀に」
「あ、でも嬉しかったのはほんと。だけど亮は……幸せになってね」
真紀にだって何度か彼氏はできた。だけど誰と付き合っていても、ふとした瞬間に亮のことを思い出すのだ。どこで何をしているのかわからない亮に突然、会いたくなるのだ。成長するにつれ、一緒に遊ぶことはなくなっても、心に根付いた亮の存在が消えてなくなることはなかった。
真紀は軽くジャンプをして切り株から降りた。
「寒くなってきたし、帰る。ばいばーい」
そして亮の方を振り返ることなく早足で公園の出口へと進んでいった。
亮は缶ビールを切り株に置き、真紀の後を追った。無意識だった。なぜだかわからない。だけど今、真紀を引き止めなければもう二度と会えないような気がした。
後ろから真紀の左手首を掴む。振り返った真紀の目には今にも溢れそうなほどの涙が溜まっていた。
「亮……」
次の瞬間、亮は真紀を抱き寄せていた。こんなことをしたって何の解決にもならないことはわかっていた。だけど、目の前にいる真紀を抱きしめずにはいられなかった。
「真紀、ごめんな。ほんとにごめん」
真紀は泣きながら、亮の胸の中で首を横に振る。亮は繊細なものに触れるようにゆっくりと真紀の頭をなで続けた。
どのくらいの時間が経っただろうか。真紀の目から溢れていた涙は少しずつ止まっていく。真紀はゆっくりと亮を見上げた。
「……ごめん」
亮はたった一言呟き、真紀の唇にそっとキスを落とした。
「……それは、何のごめん?」
その答えは、空に輝く月だけが知っている。
* - * - * - * - * -
夕月檸檬(ゆづきれもん)さんのこちらの企画に参加させていただきました。
いただいたサポートを糧に、更に大きくなれるよう日々精進いたします(*^^*)