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【掌編小説】こぼれ落ちていく(続き)

ネットで色々調べて費やした時間とお金を返してほしいと思った。私からまとわりついて離れなかったぶよぶよとした煩わしいものは、最初からそこになかったかのようにごっそりと削げ落とされていた。だけど、風呂場の全身鏡に映った私は全くもって幸せそうではなかった。

行かなければ。

想像以上にあっけなく終わった結果、思っていたよりも私は冷静だった。ごめん、と一言つぶやいて風呂場を後にした。ここへ来た時の鞄だけを持ち、何事もなかったかのように家を出て鍵を閉める。まるで、ちょっと近所のスーパーへ買い物に行くかのように。

4年間通ったこの町に、もう二度と来ることはないだろう。駅で電車を待ちながら、駅名が大きく掲げられた看板を見た。電車に乗って二駅隣りの駅で一旦降りた。1週間前に預けた大きなスーツケースを回収し、もう一度電車に乗りこんだ。

車窓から見える景色に湯船につかった彼の姿が重なった。彼は本当に死んだのだろうか。いや、考えるのはよそう。もう後戻りはできない。

「お前の取り柄は頭がいいだけで他に何の魅力もない」酔った彼がいつも私に吐いていた台詞。まさか自分がその“取り柄”に殺されるなんて一度も考えたことなかったんだろう。

昔、小説で読んだトリック。お風呂場で相手を感電死させる方法。そんなに簡単に人が死ぬのかと学生の時衝撃だったことから覚えていたその記憶を引っ張り出し、私の知識を掛け合わせた。こんなことのために勉強してきたわけじゃないけれど、馬鹿じゃなくてよかったと思った。

決行した今日はお盆休みの初日。今年の盆休みは5連休。彼が出社せず、不審に思った会社の同僚が彼を探し始めるのは早くても6日後だ。それまでに私は国外へ旅立つ。そして日本に帰ってくるつもりはない。

国外へ逃げたところで私の罪が消えてなくなるわけではない。あくまでも捕まる可能性が少し低くなるだけだ。別の方法で手を下して正当防衛を主張する、自首をすることも考えた。社会的に死んでしまうかもしれなかったけれど、別によかった。私には失うものなんてなかったから。

「復讐なんてするもんじゃない」
辛かった頃、幼馴染が何度も私に言ってきかせたこの言葉。わかっていたけれど、あの瞬間だけはこの言葉が頭から消えてなくなった。電気を流して数分後、ほっとするのと同時に、あいつが言った台詞が浮かんだけれどそのときにはもう手遅れだった。

国外へ旅立つ前にもう一度、あいつに会いたかった。だけど私はあいつの言葉に背き、罪を犯してしまった。合わせる顔がどこにあるというのだろう。私はもう罪人。でも、あいつに最後に会ったとき、別れ際に言われた台詞を必死に守ろうとしていた。
「希望がなくても生きろ」

日本の警察が、どこまで私を追ってくるのかはわからない。だけど、どこかで足取りを追えないようにする必要がある。方法は頭に叩き込んである。彼のせいで体はやせ細ってしまったけれど、脳はまだふっくらとしていて重みがあるように感じる。もしかしたら私の脳みそはこの日を待っていたのかもしれない。

私は搭乗ゲートを睨みながらくぐった。
どうせ死ぬなら、あがいて死んでやる。

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野やぎさんのこちらの企画に参加させていただいたのが8月上旬。

当初予定とは全然違った方向に話が行ってしまいました。当初予定、失恋のお話を書くつもりだったのです。だがしかーし! お二人の方から「ホラー」というコメントを頂きまして、自分でも驚きました。この冒頭で「ホラー」さがにじみ出ていたのか! と。

そこから様々なパターンを考えた結果、こんなお話になりました。
※いや、ホラーじゃないやん! というツッコミは受け付けません。

犯罪者が海外に逃亡した場合捕まるのか、諸外国と結んでいる協定はどうなっているのか、海外で永住するにはどうしたらよいのかなど色々調べたのですが、端的にまとめられなかったので出ていく前までの背景だけを少々書くかたちでおさめました。

つたない出来ですが、今までに書いたことのないタイプのお話に仕上がったこと、チャレンジができたことを大変うれしく思います。

読んでくださり、ありがとうございました。

いただいたサポートを糧に、更に大きくなれるよう日々精進いたします(*^^*)