ハッピーエンド以外、受け付けません
遠い昔、『太陽にほえろ!』というドラマで、マカロニ刑事が突然強盗に刺されて死んだ後、まだ子供だった私は1週間くらい立ち直れませんでした。
夜寝る時にも彼が死ぬ時の映像が脳裏によみがえり、苦しくて、「あの人はただの俳優、今も元気に生きてて、どこかで普通にごはん食べたりしてる」と言い聞かせなくてはならず。
多分それ以来、意識的にハッピーエンドじゃないテレビ、映画、本は避け続けています。 単純に、なぜお金を払って、悲しい思いをしなくてはいけないのでしょう?
友人「いや、だけどやっぱり人生ハッピーなことばかりじゃないわけだし」 それだからこそ、現実世界には悲しいこと、苦しいこと、つらいことがたくさんあるからこそ、ハッピーエンドな世界に浸りたいのに。
映画に誘われると「その映画、誰か死ぬ?」と訊いてしまう私は、人が死ぬということを実体験から過剰に恐れているのかもしれません。 自分が死ぬということに対しては、痛みに弱いのでなるべく痛くないといいなあと思う程度なのですが。
そこまで避けているのに、「一人で観るのいやだからいっしょに観て」と頼み込まれて、予備知識がないまま観たジブリのアニメ『蛍の墓』。 何度も号泣し、立ち直るまでに『太陽にほえろ!』以上の時間を要し、その友人を本気で恨みました。
「ただのエンターテイメントだから」とボーイフレンドに連れていかれた名前も思い出せないアクション映画は、拷問のシーンで途中で出てしまいましたし、登場人物がどんどん死んでいく『レ・ミゼラブル』を観に行ったことも激しく後悔しています。 それがどんなに”いい映画”とされていても。
『タイタニック』など事実に基づいたものは、「ただの創作」と自分を説得できず、沈んでいく船の上で音楽を演奏し続けたミュージシャンたちのことが、観て20年以上経った今でも、折にふれ思い出されて胸が痛みます。
そんな話を一度ティーンエージャーの生徒としたことがあるのですが、彼女は悲しいドラマやダークな映画が大好きというので、その理由を尋ねると「だってハッピーじゃない自分とシンクロできるから」という答えが返ってきてはっとしました。
たしかに自分が今とても不幸だと感じていたら、ディズニー映画は絵空事に見えてしまうのかもしれない・・ そんな風に考えたことはなかったのですが、だとしたら、世の中にアンハッピー・エンディングのドラマや映画があふれていることにもある程度納得がいきます。
付け加えると、死ぬことがイコール アンハッピーなだけではない場合もありますよね。 その人がすばらしい人生を送ったこと、そして今、次の世界に移行する時が来ただけと思えるものであれば。
なんか、書き始めてみたら、無意識のうちに決めてが”死”に偏ってますが。 これは私の中で、例えば”恋愛”におけるアンハッピー・エンディングは、立ち直れなくなるほどではなくて、なぜなら、また次がある!という希望をいつでも持てるからです。
結論として、やっぱり私は、これからもずっと基本的にハッピー・エンディングのものだけを見続け、読み続けていきたいです。 いろいろあったけど最後はハッピー。 大きく言えば私の人生、小さく言えば私の1日もそんな風であることを願いつつ。
✨今日の英会話✨
Why do I have to pay to be sad? なぜお金を払って悲しまなくちゃいけないの?
『水戸黄門』など、勧善懲悪の時代劇に対してはもちろん肯定的ですが、ただ悪人が最後に成敗される前に、善人を殺したりすることが義務づけられて(?)いることが多々あるので、要注意です。